朝鮮総督府庁舎

朝鮮総督府は、現人神とされた明治天皇の詔書により、朝鮮半島に日本と同様の発展と、民衆の安寧を与えるべく、職務に励むよう義務付けられました。

一方「永久に韓国を帝国(日本)に併合する」という文言が、日本の古い伝承や大陸との関係を示す伝承にうとい一般国民には、日清・日露戦争を経て自分たちが多大な犠牲を払って獲得した領土(植民地)という解釈でとらえられ、朝鮮民族の近代化を助けるという意識より、下に見る傾向が強く出て対応に苦慮していました。

明治43年(1910年)8月29日、日韓併合の詔書 大日本帝国朝鮮写真帖より (国立国会図書館ウェブサイトより)

そのために、朝鮮半島を再び国にして西欧植民地政策に対抗するためにも、国民を納得させられる大義名分が求められたのです。

さらに、明治天皇崩御後の大正時代になると、明治維新・文明開化の興奮が冷めるなか、各地で反政府運動や米騒動などが頻発、大正天皇の健康不安と併せて、天皇制への揺らぎが起きました。

これらを解決するべく、嘉仁親王時代に韓国を訪れた大正天皇の神の力によって朝鮮半島でも維新がなった、明治天皇の神の力は大正天皇に受け継がれており、いささかもその力は衰えてはいないと示して、日本国内を引き締めようと「韓国の維新」が国の中枢、大正天皇に近い人たちで急がれていたそうです。

旧庁舎から位置を変えて、龍の頭のような敷地内に建てられた朝鮮総督府新庁舎。

京城地図から朝鮮総督府庁舎一帯『日本列島を繞 る激動の昭和半世紀の史料;6』より 昭和9年京城土木課製 昭和61年2月15日謙光社復刻発行 (国立国会図書館所蔵)

たいていの人は、総督府庁舎の写真だけで説明されているでしょうから、なかなか「龍の…」と言われてもわかりにくいでしょうが、このような、敷地全体が見える地図だと、イメージがとらえやすくなると思います。