九右衛門にはひとり娘がいた。名を結衣(ゆい)といい、伊助より二歳年下であった。母親は結衣を産んだ後、産後の肥立ちが悪くて亡くなっていた。

結衣は裕福な家で母親の躾も受けず箱入り娘として大事に育ったせいか、雇い人を人とも思わない態度で奔放に振る舞い、生意気盛りだった。伊助は年が近いせいか結衣に小間使いのように使われた。

稽古事の度に重い荷物を背負わされ、家に上がる度に足を洗わされ、履物を持たされ、踏み台の代わりをさせられたりもした。まだ自分の立場がよくわからなかった伊助は結衣に、「たとえどのような低い身分の者でも、年が上なら敬う心がなくてはいい嫁になれねえど」と言った。

するとこの娘が父に告げ口し、伊助は雇い人の若衆から身分をわきまえろと顔が腫れて目が見えなくなるほど叩かれた。その後しばらくは耳鳴りがやまなかった。

またあるとき、井戸に下駄を落としたので取ってくるようにと結衣から命じられ、やむなく縄ばしごで下りると縄を外されたうえ蓋をされ、呼べども誰も気づかず、つるべを落とされて体にあたって気づかれたが、井戸にいたわけは聞かれず、ただ井戸を汚したとしてこっぴどく殴られたりもした。

※本記事は、2020年11月刊行の書籍『ゑにし繋ぐ道 多摩川ハケ下起返物語』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。