3 邪馬台国時代は果して、漢字は使用又は理解されていたか

基本的に上古代から現代においても、外交活動は相手国の言葉、文字を理解していないと交渉はできないのが鉄則であろう。

この本題のテーマの資料は倭国側には、全く資料を見つけることはできない。

邪馬台国時代に書かれた中国側の資料の「三国志」の『魏志倭人伝』しか検討する方法はない。

そこで、私は、愛読書の同書を熟読した結果、判断の基となる情報を得ることができた。

「倭人伝」には魏国の皇帝からの詔(みことのり)書が頻繁に倭国の女王卑弥呼に届けられている。倭国側は、十分に皇帝からの文書を理解していたと考えられ、その代表的な部分を抜き出してみた。

例一 その年の十二月[明帝時代の景初二(二三八)年]

詔書(しょうしょ)報倭女王日制詔親魏倭王卑弥呼」(詔書して倭国の女王に報じて曰く、親魏倭王卑弥呼に制詔する)

例二 「 還到受 悉可以示汝國中人」(戻り到らば目録を受け取り、ことごとく、以て汝が国中の人に見せなさい)

例三 正始元年(斎王芳時代の年号、二四○年)建中校尉梯雋(ていしゅん)等を遣し、詔書、印綬を奉じて倭国に至らしめた。

例四 正始六(二四五)年

詔して倭の難升米(なしめ)に黄幢を賜い、郡に付して仮授せしむ。

例五 正始八(二四八)年

張政等を遣わし、因りて詔書・黄幢を齎(もたら)し、難升米に拝仮せしめ、檄(おふれ)おふれを為りてこれを告喩す。