当時、地方支店転勤は一種の左遷とみなされていた時代である。人選は部門の次長、課長、課長代理と上から順に指名が掛かったが誰も応じようとしない。そのうちついに入社三年目の私に声が掛かった。

結果、若輩ながらその誘いを受けたのは説得に当たっていた広島支店次長の人柄と情熱、そして広島には旨い酒と肴がある。また、軒並み連なる飲み屋には可愛い娘がごまんと居るとの甘言に、北海道から遥か遠い広島の未知の世界に私の興味が揺すぶられたのかもしれない。

一方、赴任してみて広島支店は地方支社ながら三菱重工、日本製鋼、東洋工業(マツダ)など大手の地元産業への機器売り込みで活況を呈しており、機械部門の商権が構築され確立されている事に驚かされた。それら商権をフォローしながら私はブタジエンプラントの設備買い付けミッションの一員として海外初出張の米国に旅立った。

ニューヨークを拠点にして広大な米国の東西南北七都市に点在するメーカーの訪問を続けたがその事によって私は米国の強大な国力を知ると同時に豊かで広大な国土と自然を肌で感じる事になった。

その後、ソ連との契約調印を経て私は東京に転勤したがすぐ待ち受けていたのは米ソ冷戦時代の東西貿易プロジェクトの数々であった。仕掛けていた案件が具体化し、一九七二年今度はモスクワの地を踏む事になった私は期せずして同時期に東西両陣営の巨大国家を目の当たりにした数少ない一人となったのである。

 
※本記事は、2020年11月刊行の書籍『海の道・海流』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。