忘れ得ぬ海の仲間たち

海を渡る前にシーガルの仲間の事を書こう。そのためには北海道で育った私が、なぜ彼らと出会い艇と命を共にするようになっていったのかを書かざるを得ない。

朝鮮戦争の後、日本は国策により粗鋼生産を上げる事に舵を切った。その事によって技術革新時代を迎え日本の高炉メーカーは鉄鋼産業の先進国であるドイツ、米国から製鉄技術と設備の導入に忙しくなっていた。

工学部三学年の時、必須科目であった学外実習工場として戦艦大和建造のドックを持つ呉造船所の受け入れでお世話になった総合商社との縁で就職先に商社の道を選んだ。そして大阪本社に入社後、まさにその商圏を扱う部門に配属されて多くを学ばせてもらう機会を得た。

入社三年目を迎えた頃、私に人生の転機ともいえる大きなチャンスが訪れた。東京支社が三菱重工広島造船所(広船)と組みソ連向けに米国企業がライセンスを持つ合成ゴム(ブタジエン)工場建設プロジェクトを推進していて、そのフォローと、米国からのハードウエアー買い付けミッションのための同行メンバーを広島支店が本社に求めてきたのだ。