「それは一九六一年のことでしたな。生まれ故郷のこのフィレンツェ以外に、私がもう一軒のギャラリーをヴェネツィアに出して間もないころのことです。当時は毎週二回、ヴェネツィアの店に顔を出していましてね。その年の秋、私がヴェネツィアの商売仲間であるアルトゥーロ画廊に立ち寄って主人と話し込んでいるとき、たまたま一人の男が店に入って来たのですよ。

その男は絵の額装を注文しに来たようだった。そうと気づいた主人は客の相手をして、様々なデザインの額縁を検討し始めたというわけですな。私の方もね、何とはなしに脇から横目でちらちらとその油絵を見まして、ええ、驚いたのですよ。素晴らしい色彩感覚、類まれなテクニック。

それにもまして惹きつけられたのは、漂うミステリアスな雰囲気でした。それにああいうのをまさにファム・ファタルと言うのでしょうな、美しい女の横顔が克明に描かれていましてね、衝撃的な出会いだった。気がつくと、私は不躾にも初対面の画家にその油絵を所望していたのですよ。それで運よく手に入れることができたというわけでしてね。この絵は隣室のギャラリーに保管してございますから、後ほどお目にかけましょう」