英国国立ウェールズ大学経営大学院にて医療経営学修士号を取得した臨床医が、現代の医療経営の諸問題を追及します。

代表的な戦略論

病院の経営戦略とは病院が実現したいと考える目標と、それを実現させるための道筋を、外部環境と内部環境とを関連づけて描いた、将来にわたる見取り図と定義できます。従来は厚い診療報酬制度に守られて戦略がなくても利益を生むことが可能であり、医療機関の経営会議などにおいて戦略を論じられることは稀でした。戦略論に関しては外部環境を重視して業界におけるポジショニングを意識するマイケル・ポーター教授(ハーバード大学)と内部環境を重視し、内部資源に基づく戦略を主張するジェイ・B・バーニー教授(ユタ州立大学)が有名です。

1.マイケル・ポーターの戦略

マイケル・ポーターは業界の外部環境を重視し、自社(自院)のポジショニングを意識しながら、有利な立場に位置づけていく戦略を主張しています。ポジショニングとは業界内のライバルと比べて、自社(自院)がどのような製品・サービスを提供するかを考えるものです。マイケル・ポーターは3つの基本戦略を掲げています。①コストリーダーシップ戦略、②差別化戦略、③選択と集中の3つの戦略です[図表1]。それぞれを順に解説します。

[図表1]マイケル・ボーダーの3つの基本戦略

1)コストリーダーシップ戦略

シェア第1位を獲得して、単位当たりのコストを低下させ、規模の経済や経験曲線効果[図表2]を活かす戦略です。規模の経済とは、生産量の増大に伴い、原材料や労働力に必要なコストが減少する結果、収益率が向上することです。

[図表2]コストリーダーシップ戦略の理論背景

製薬企業がシェア1位を目指すのも規模の経済によって単位当たりのコストを低下させるためです。病院が病床稼働率向上や、1日当たりの検査件数を増加させることも規模の経済に基づきます。稼働率や検査件数が少々増加しても人件費などの固定費は増加しないからです。経験曲線効果とは過去からの累積の生産量が増加することで、従業員が業務に習熟し、作業効率が向上することで、単位当たりのコストが低下することを指します。

業務手順の効率化や設備・道具の改善を通じて作業能率が向上することもあります。市場シェアが高ければ、競合よりもより多くの経験を積むことができるので、経験効果を高めることができます。膵頭十二指腸切除術、心臓血管手術、肝臓切除のような大手術では、累積の症例数が多い方が、圧倒的に有利です。

肝生検などの検査でも年に数例しか施行していないと、物品の準備やスタッフの教育に時間を要しますが、年に200例行っていればシステム化され効率的です。専門特化することが競争優位を生み出す根本はここにあります。

2)差別化戦略

自社(自院)の製品・サービスがいかに競合(他院)に比べてユニークで機能性に優れ、明らかに差別化されているかに主眼を置く戦略です。2つの重要なポイントがあります。

第一に、その違いに顧客が価値を見出すことです。顧客にとって意味のない差別化は“差別化”ではありませんし、自社都合の“似非”なる差別化が世の中には多いです。

第二に、競合が容易にキャッチアップできないことです。優位性が一定期間持続することと、競合が真似できない“痛いところ”をつくのが良い差別化です。例えば「リーチ」という歯科医師の用いる口内鏡のように曲がったアングルネック、小ぶりのヘッドを持つ歯ブラシがあります。その機能性から、歯ブラシ市場で2桁台のシェアを誇っていたこともある商品です。

なぜライオンやサンスターなどの競合がこのような歯ブラシを市場に出せなかったかといいますと、ライオンやサンスターは歯磨き粉を販売しているために、先端のブラシの小さい商品を売ることは自社の歯磨き粉の売上の低下を懸念したことが原因と言われています。「リーチ」を作り出したジョンソン・アンド・ジョンソンは、そのようなしがらみがなく、「リーチ」を開発・販売できたと言われています。

また、デルは、他社メーカーのように大型量販店でパソコンを売るという流通経路を持たない弱みがありましたが、それを逆手にとりインターネットでの顧客への直売、そして顧客ごとにカスタマイズできるコンピューターを実現しました。従来の家電メーカーは大手の家電量販店との関係性があり、そのような販売手法はとれませんでした。

1980年代前半まで、ビール業界でキリンビールの勢いは加速し、苦みを強調した味の「ラガービール」で高い市場シェアを得ていた強者でした。1987年にアサヒビールが生ビール製法と辛口の味で差別化をした「アサヒスーパードライ」を新発売し、大ヒットさせました。キリンビール全盛時代にあって、アサヒのスーパードライの登場はちょうどわれわれの世代がビールを飲み始めた時代でしたので、今も鮮明に記憶しています。ビールと言えば酒屋で買うものといった常識を覆し、コンビニエンスストアや自動販売機などでの流通がスーパードライのKSFだったと思います。

キリンは、1980年代前半まで、酒販店チャネルに強みを持ち、「キリンラガービール」を中心に60%の市場シェアを握る業界リーダーでした。「アサヒスーパードライ」の登場によって、キリンのシェアは低下し、現在までアサヒがトップシェアに君臨しています。デルや「アサヒスーパードライ」の事例から分かるように、既存の流通システムは強みとなることもあるのですが、逆に足枷となることも如実に表しています。日本の教育は他人と同じことをするのが善であるとし(日本の教育を「洗脳」と揶揄)、いまだに社会全体が右肩上がりの高度成長時代の発想であると堀江貴文氏も指摘しています[12]。

しかし、グローバルスタンダードを導入しているわけでもありません。マイケル・ポーターは病院は競争相手との差別化を図るのではなく、相手の模倣をするという古典的な戦略ミスを犯したと指摘しています[13]。病院経営でも周囲の病院との差別化を図らなければなりませんし、国主導の医療機関の差別化戦略がまさに地域医療構想なのかもしれません。

※本記事は、2017年12月刊行の書籍『MBA的医療経営』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。