入ろうかどうか迷っていると、厨房から出てきた意外にも若いウエイトレスが、「いらっしゃいませ」と笑顔を向けるや手を引きかねないいきおいで、窓際に並ぶテーブル席までぼくを案内してくれた。高台に建つホテルなので、地階とはいいながら店は表通りに面していて、窓の外には夕闇の迫る街並みがあった。

サンドイッチやパンケーキといった軽食ばかりが並ぶメニューのなかから、ただひとつのご飯物であるカツレツ定食と生ビールを注文した。予想されたことだが、ひとりで口にする食事は味気なかった。生ビールを飲んでも少しもうまいと思わなかった。ひとりで取る食事にはもう慣れたはずなのに、旅先でこうしてひとりになってみれば、またあらたなさびしさにぼくはおそわれてしまうのだ。

典子がいたらと思った。典子がいたら、その細い腕でビールのジョッキを持ってごくりと飲み、それからふうっと言ってジョッキを下ろし、同じようにジョッキを下ろしたぼくと顔を見合わせ、「うまい!」と言って笑ったろう。

ビールを飲むのはぼくと典子のささやかな楽しみだった。お店に入って「何を飲む?」とぼくが訊くと、典子はかならずビールと答えた。そうして飲むビールはほんとうにうまかった。

※本記事は、2020年11月刊行の書籍『シンフォニー』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。