郷愁にも似た海への想いは私の幼少時代に培われた

石廊崎越えに成功した後、永い間我々の海の拠点となった南伊豆は未だ人の余り入り込んでいない荒々しくも美しい海であり、我々をさらに海の虜にした。しかし、中木の手前に立ちはだかる岩屏風の間から炎天下、かげろうに揺らぐ伊豆七島の島々を覗き見て未知の海域を渡り島に行ってみたいという切ない胸の疼きが高まるのを禁じ得なかった。

その郷愁にも似た海への想いは私の幼少時代に培われたものと思っている。小学校に入りたての頃、私は故郷室蘭の太平洋に面する電信浜の近くに住んでいた。そして家のそばの急な崖を下り、大潮の海に兄弟に連れられて行く事がしばしばあった。

大潮は毎年春に起きる。大きく潮が引いて、いつもは海の底に潜んでいる沖の岩場が海藻をびっしりつけて目の前に広がる姿に興奮を覚えたものであった。そして多くの海の獲物を捕るため、未だ行った事のない裏側の磯に渡ろうと水に足を踏み入れた時のその冷たさに海の恐ろしさをも同時に知った。

その後、私は対岸に聳え立つ室蘭岳の麓に佇む小さな町に引越しした。それからは海の深淵に糸を垂らして底に潜む北の海の魚の強い魚信に胸を躍らせる釣りを楽しむようになっていった。

釣り場は私の家から一時間ほどの所にある室蘭港の白防波堤であった。室蘭港は火山活動による海底の隆起によって形作られたのであろう、渡島半島の西に位置する恵山岬から大きく囲まれた噴火湾の東端に更なる入り江が二重に形成された自然の良港である。

入り江の入り口には大黒島が浮かび、それを交わして入港してくる貨客船の右舷には恵比須島が、そしてその根本からは赤防波堤が沖に伸び、遥か彼方には有珠岳、昭和新山が噴煙を上げている。複雑な地形の海岸には海の幸が多く、古くからアイヌが住みエンルム(アイヌ語で岬・現在名絵鞆)と呼ぶジェオロジカルな世界であった。