二月半ば、杉井は照準を担当する二番砲手に選ばれた。石山、山口などにも二番砲手の任が

与えられた。これ以後、まず、

「照準点、後方、右金の鯱の頂上、方向二千六百」

の号令に、眼鏡の焦点を金の鯱の尾の頂上に合わせる訓練が課された。これが上手にできる

ようになってくると、次は応用動作で、

「照準点、後方一本松の頂上、方向二千九百、榴弾瞬発信管、装薬四号、高低百六、三千、第一発射、続いて込め、各個に射て」

というような号令に合わせて八人の砲手がそれぞれ持ち場の操作を行うことになった。幹部候補生志願者はすべて連日この大砲の操作の訓練に明け暮れた。

三月の末になると第一期の検閲が千種ヶ原で行われた。それまでの訓練とは異なり、検閲では実弾が用いられた。内容は、中隊の大砲四門を馬に引かせて陣地に侵入し、照準を合わせて実際に大砲を発射するというものであった。四門の大砲を四十八頭の馬に引かせ、砂塵を上げながら行う陣地進入は実戦さながらの迫力であり、四門一斉の初めての実弾射撃のズガーンという音も、耳をつん裂くと同時に腹の底まで響くもので、杉井は自然に身が引き締まる思いがした。それぞれの兵の動きは一糸乱れず、杉井は、三ヶ月という期間を考えれば、出来栄えは上々であり、猛訓練というものは、それなりの成果をもたらすものであると、つくづく思った。

※本記事は、2019年1月刊行の書籍『地平線に─日中戦争の現実─』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。