近代の日本において新しい女性像を作り上げた「蝶々夫人」のプリマドンナ、三浦環。最近では朝ドラ『エール』にも登場し話題となりました。本記事では、オペラ歌手として日本で初めて国際的な名声を得た彼女の華々しくも凛とした生涯を、音楽専門家が解説していきます。

助教授のころ

環は明治四十年六月十一日付で東京音楽学校嘱託から助教授に昇任した。この時環は二十四歳であり、三十七年七月に本科を卒業してから僅か三年でこの地位を得た彼女にとって

将来を約束された慶事であった。「万朝報」は次のようにこれを報じている。(62)

声楽の天才として其名高き下谷区谷中清水二十、陸軍一等軍医藤井善一氏夫人環子女史は東京音楽学校卒業後、同校教授補助を嘱託され居たるが去十一日付にて文部省より同校助教授に任するの辞令に接したりこの年の音楽学校の昇進乃至増員は教授一、助教授五、外国教師二で教員組織は教授九、助教授十二、嘱託十七、外国教師五の計四十三名となった。

十二月べルリン高等音楽学校を卒業して来日したウェルクマイスター(一八八三〜一九三六)がピアノ、チェロ、和声の教師として着任した。

彼は環より一歳年上で青年教師として意欲的な活動を展開し、昭和十一年東京で没するまで在日二十九年、わが国洋楽史上に大きな足跡を残すことになる。

東京音楽学校の演奏会は二日にわたって催されるが初日は生徒及び生徒関係者の招待、二日目は学校の招待者と入場券を買い求めた人達を対象に行われていた。

環が助教授として初めて出演する第十八回春季演奏会は明治四十一年六月六、七日の二日間、上野の奏楽堂で開かれた。

環は六番目の合唱管弦楽及びオルガンによるメンデルスゾーンの神事楽「エリア」に出演した。

このオラトリオ「エリア」作品七○は第一部、第二部の構成をもち序唱、序曲と全四十三曲のアリア、レシタテーブ、重唱、合唱で組み立てられ三時間にも及ぶ大作である。

当日はこの一部分が選曲されて歌われた。昨今英語で歌われる機会は多いが、環はフレック嬢と共にドイツ語で歌い、オーケストラはユンケルが指揮をしている。合唱の部分は乙骨三郎が「天の岩戸」と題して作歌したものが歌われた。