茅ケ崎工場の浴槽関係の担当者であった松下課長と長嶋さんの二人は面白い人で、何とも親しみがありました。TOTOには大きな社員食堂があるのですが、定時以降は食堂でビールも飲め、おつまみもあります。「もうすぐ仕事が終わるから食堂で一杯飲もうか」と声をかけてくれ、それから茅ケ崎のスナックに飲みに行ったりしました。松下課長は「今日はうちに泊まっていきなさい」と言ってくださり、家族的な付き合いになりました。朝は早くから奥様が旅館の朝食のような美味しいごちそうを出してくださいました。すでに退職しましたが、今でも交流があります。

会社にはそれぞれ社風というものがあります。TOTOの方たちは庶民的で、親企業だとか下請けとかの差を感じさせません。人として寛大な気持ちをもった方たちが多いのです。利害を超えて友人として付き合いのできる方々に多く出会いました。

そのうち、関山部長から「事務所を都内に移すようにしたらどうか」とのお話がありました。広大な東京のどこに事務所を置いたらいいのか、今後の事業展開を考えた時、まず相談することが大事だと思い、関山部長に相談しました。

関山部長は、「環状七号線と八号線の間の世田谷付近がいいね。これからメンテナンスの仕事をする時、高級住宅の多い世田谷がいいのではないか」と教えてくれました。当時、私のすぐ下の妹(次女)の藤山夫婦が別府にいました。妹の夫は別府で金融関係の仕事をしていました。その彼に、東京の中心者として仕事を手伝ってほしいと頼んだところ、協力してくれることになりました。彼の知人がちょうど世田谷で不動産屋をしているとのことで、そこを訪ねて物件を紹介してもらい、別府から藤山夫婦が移住してきました。小田急沿線の一戸建て住宅を借り、子供二人と一緒に住んでもらい、居間を事務所として使うことになりました。このころには東京で働く社員も五、六名になっていました。しばらくして、別府に住んでいたある大工さんが、藤山さんと一緒に仕事がしたいと夫婦で東京にやってきました。システムキッチンとユニットバスの施工には最適の人材でした。藤山夫婦の人柄についてきたのです。

※本記事は、2017年11月刊行の書籍『霧中の岐路でチャンスをつかめ』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。