道夫は、殴られ蹴られながらも布団の上に靖夫をねじ伏せた。手足をバタバタとして暴れる。

靖夫を押さえつけ続ける義父のこんなにも恐ろしく言いようの無い絶望に満ちた顔を職場でも嫁いで来てからも美紀は一度も見たことはなかった。暴れる靖夫を軽々とねじ伏せる腕力をどこに隠していたのだろうか。普段の道夫からは想像もできない光景だった。

道夫に十分ほど抑えつけられた靖夫は徐々に動かなくなり寝ているように大人しくなった。

その間、押さえ続けていた道夫は何があったのか美紀に訊こうともしなかった。美紀は恐ろしさに体がガタガタと震えゼイゼイと肩で息をした。美紀の喉元にはクッキリと絞められた赤い手の跡が残った。

「ここしばらくは安定していると思っていたのに」

道夫は靖夫を布団に寝かしつけるとポツリとそう言った。

「あ、安定って? どういう意味ですか?」

美紀が震える声で訊いた。

「びっくりしたやろね。息子は年に数回こんな発作を起こすんや。普段は大人し過ぎるぐらい大人しいのじゃが」

嫁のあんたには聞いておいて欲しいと前置きして道夫は靖夫のことを語り出した。

「息子は、妄想で自分が狼男か何かに変身すると思い込んどる。発作は十数年ほど前から起こるようになった。内に籠もる性格や大人しいが故に学校で虐めの対象にもなっていたようや。強くなって虐めた奴らに仕返しをしたいとの思いが高じたんか、自分は変身のできる狼男か何かだと思い込むようになり、時折暴れるようになった。

暴れるといっても外ではそんなことは無い。家の中で私や家内に対してだけやった。暴れ回り意味不明の言葉を喚き散らして手がつけられない状態になる。息子の異常な振る舞いに私も家内もこれは精神病だと思った。そやけど、そんなことは家や息子の恥になることやと思い世間には伏せとった。病院も伊勢や津では周りに発覚するのが心配で名古屋まで連れていった。

医者の診断では誇大妄想と被害妄想が絡んだ統合失調症ということやった。ある程度は薬で抑えられるが治らないとも言われた。大事な跡継ぎがこんなことになり私も家内も悲嘆にくれた。ショックやった。普段は大人しいだけに息子が不憫で仕方がなかった。そやけど一年半ほど前から医者の指示で薬の量を少し多めにして貰ったら発作は遠退き寛解したと私も家内もそう思っていた。それで歳も歳やしこの機会に嫁でも持たそうと思い、私が見込んだあんたに嫁になって貰うことにした。もうこれで大丈夫やと思って安心しとったとこやった。しかし、ここしばらくの結婚式や何やかやでストレスを感じたのが引き金になったのかもしれん」

道夫はそう言って傍目にもわかるように肩を下げた。

小さな海辺の町で生まれ育ち、スナック「漁火」で働く美紀には小学生の頃の忘れられない思い出があった――。つましくも明るく暮らす人々の交流と人生の葛藤を描いた物語。