学校帰りには、ぼくはひとり自転車を引き、あてもなく歩くことが日常のようになっていた。学校の近くの川は水なし川だった。雨が降ればかろうじて流れはできるが、いつもは乾いて川底の白い砂利をむきだしにしている。その土手には細い道がある。土手の夏草の上にしゃがみ込んで夕陽を見つめた。

眩しい夏の夕陽も、じっと見つめるにしたがって真円をしっかりと捉えることができる。ぼくは幼い頃からこの自傷的な遊びをよくしていた。陽が沈んでしまうと、空は紫色に映えた。

そして、鴇子のことが思い浮かんだ。連想ということでもない。昨夜、鴇子の夢を見たのだ。どこかの高原のようだった。鴇子は薄いピンクのワンピースを着ていた。風がスカートを揺らしている。鴇子は笑顔でぼくに歩み寄り、耳元で何かを囁いた。彼女の吐息を感じ、ぼくは手を伸ばして鴇子の身体を抱きしめた。温かな体温を感じた。言い知れぬ快感から目覚めると、いつものように暗い天井があった。

そのときぼくは、生意気な鴇子を秘密裏に支配したような、一つ上から見下すことができたような気がした。夢の中の鴇子の香りや体温が残っていた。

夕景は、すでに光を失っていた。それでもぼくは土手にしゃがみ込み、灯りが点き始めた市街を眺めていた。

次の土曜の午後、ぼくはあの骨董屋の前に立っていた。息を呑んで、ガラス戸を開けた。不思議なことに、今日はすぐに彼を見つけ出すことができた。それもあっけなく、突然あの人形の棚が出現したかのようだ。人形たちの棚の上で、静かに彼はぼくを見つめた。そしてぼくも彼の眼を見つめた。振り返ると、レジに主人が座り、外国の分厚い書物を、パイプをくゆらせながら読んでいる。パイプの甘い煙がぼくのところまで流れてきた。

「おじさん」

主人は、顔を上げると、眼鏡を掛け直した。

「おじさん、あの人形、いくらですか」

「どちらの」

「あの、棚の上の人形です」

「彼ですか」。主人は一言付け加えた。「古いものですよ」

「はい」

主人は静かに「十万円です」と言うと、眼鏡の厚手のレンズを上げ、ぼくを見た。

その値段が、高いのか安いのか分からない。しかしぼくにはとても手が出ない物だ。

※本記事は、2018年3月刊行の書籍『ブルーストッキング・ガールズ』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。