見合いが終わり、土産の和菓子の入った手提げの紙袋を渡されて美紀たち二人はホテルの玄関からタクシーに乗り込んだ。美紀は見合いの相手が思いの外見栄えの良いことに機嫌が良かった。

しかし、智子の思いは違った。あの端正な容姿で三十台半ば近くまで独身でいることに加え、美紀の実家が水商売であることや十数年前の父親の自殺に何も触れてこなかったことに少し違和感を持ったのだ。それらは、どれも見合いの席には相応しい話題ではなく、そんなことはすべて織り込み済みの見合いであったからなのか。触れなかったのは相手の気遣いからだと思えばそうも思えた。

しかし、玄関先で見送られたとき、タクシーに乗り込む美紀を見遣る組合長の目に一瞬浮かんだ憐みの表情はどうにも理解のし難いものだった。昼酒に少し目元を染めてはしゃぐ娘を尻目に智子は何も言わなかったが、心に嫌な疼きを覚えたのだった。

見合いのあと、智子の心配を余所に美紀はすっかりその気になった。それほど日を置くことなく話をお受けしますと美紀側から伝えると、相手はなぜか急いでいるようで了承の返事から僅か一月ほどで挙式となった。

その間、靖夫と逢ったのは二回ほどでそれも式の打ち合わせのためで義務のようなものだった。美紀は漁協を寿退社し、急かされるようにアタフタと嫁入り支度を済ませた。賢島宝生苑のチャペルで結婚式を挙げ、海の見渡せる見事と言う外はない会場で披露宴も行われた。県会議員や国会議員の祝電が長々と披露され、智子が流石地元の名士だと感心したほどの豪華さだった。

新婚夫婦の住まいには靖夫の実家の二階二間続きの日本間が充てがわれた。志摩地方の習いで長男夫婦は親との同居で始まり、子供ができると親は隠居して若夫婦に家の実権を譲り渡す約束となっているのだ。

口数は少ないものの夫の靖夫は毎日キチンと水産会社の仕事に出て行き、閨での営みもそれなりにあった。美紀はエプロン姿で甲斐甲斐しく夫の世話を焼き、義父母もそんな若夫婦に微笑ましい視線を投げ掛けた。父親が小さいときに亡くなり、長い間母と二人きりだった美紀は血の繋がる家族が増える将来をあれこれと思い描いた。靖夫との新婚生活は希望に満ちて滑り出し、美紀は幸せを感じていた。

しかし、結婚式を挙げた日から一月ほどが経った夜だった。美紀は、犬の低く唸るような声で目が覚めた。唸り声は隣で寝ている靖夫からだった。眉間に皺を寄せ苦しそうに呻いていた。

小さな海辺の町で生まれ育ち、スナック「漁火」で働く美紀には小学生の頃の忘れられない思い出があった――。つましくも明るく暮らす人々の交流と人生の葛藤を描いた物語。
※本記事は、2020年11月刊行の書籍『浜椿の咲く町』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。