邪馬台国ははたして一国として存在していたのか

『魏志倭人伝』の分析

邪馬台国は九州・福岡県説の根拠

5 「南至邪馬臺國女王之所都水行十日陸行一月」

玄界灘の荒波と関門海峡の潮待ちを考えると水行十日は、妥当である。

末盧国から邪馬台国の草野津(かやのつ)までは沿岸距離で約二百キロあり、当時の船の一日の航行距離は約二十キロと想定されており、それとも符合する。

投馬国までは次の古代の港・国崎津を回ってさらに海岸に沿って南下し、美美津(日向国美々津縣・現宮崎県日向市美々津港)辺りが終着港である。当時の邪馬台国からは南に水行で約二千海里、日数で十日の航程の所である。

投馬国の都(日向国兒湯郡都萬)までは陸行一日の距離である。

6 「女王境界所盡其南有狗奴國男子為王其官有狗古智卑狗不屬女王」

奴国の国境の南側には、不仲の男王「狗古智卑狗(くくちひこ)」の狗奴国と接する。和名抄の熊本県菊池郡の「菊池彦」と音が酷似して比定地がほぼ明確になっている。

景行天皇十八年夏四月 熊縣(くまのあがた)に到り、その所に熊津彦という者あり、兄弟とも成敗する(『日本書紀』より引用)。