事件直後に当事者である両人を直接聞き取りをした目付多門伝八郎も手記『多門伝八郎覚書』に、刃傷事件を取り糺した時のことを記している。それによると事件直後の内匠頭に対しては、「其方儀御場所柄辨へず上野介へ刃傷に候儀、如何心得候や」と糺したところ、内匠頭は一言も申し開きをせずに、「上江奉対聊之御恨無之候へ共私之遺恨有之、一己之宿意ヲ以前後忘却仕可討果と存候ニ付及刃傷候、…」とあり、上(公儀)に対しては聊(いささ)かの恨みもないが、ただ自身には宿意(遺恨)があったので、前後を忘却して吉良を討ち果たすべく刃傷に及んだとはっきり供述している。

一方の吉良は、応急処置を施したものの出血が止まらず、一時生欠伸をするなど衰弱が進み危険な状態にあったが、駆けつけた幕府の御典医栗崎道有の施術により快方に向かったため、即刻上野介に対しても刃傷についての取り糺しがはじまった。

「貴様先刻浅野内匠頭遺恨これある趣にて刃傷に及ばれ候段、子細相い糺す…其方儀何の遺恨を受け候て、内匠頭御場所をも憚らず刃傷に及び候や、定て覚えこれあるべきや」と糺すと上野介は、「拙者何之恨請候覚無之全内匠頭乱心と相見へ申候、且老体之事ゆへ何の恨申候哉万々覚無之由外可申上義無之由」と返答しており、内匠頭からどのような遺恨を受けていたのかとの問いに、「吉良は自分が内匠頭から恨みを受けるようなことは思い当たらない。突然内匠頭が乱心したもので、自身には全く身に覚えがないことである」と答えている。

吉良が証言した内匠頭の乱心とは何を意味しているのかというと、刃傷の遠因に内匠頭が証言した遺恨が存在していたことになると、吉良が一切手を出さなかったとはいえ両者間に喧嘩が成立する可能性が出てくる。もし喧嘩と認定されると、当事者が被害者であろうと加害者であろうとその立場に関係無く両者に喧嘩両成敗が適用される。そのため吉良は自身が喧嘩の当事者となることを避けるために、全力でそれを排除すべく内匠頭が乱心したと証言したものと考えられる。

実際に事件の当事者が乱心(心神喪失状態)と認定された場合、当時においても現代の法律同様、刑が軽減される場合があり、吉良の証言にある内匠頭の乱心とは、刑が軽減されるべく内匠頭を庇うためのものであったと解釈される方が一部におられるようだが、全くの勘違いで、吉良が内匠頭を乱心者としたのは、自らが喧嘩の当事者にならないための主張であり、あくまでも吉良自身が喧嘩両成敗の当事者の立場から逃れる保身のための証言であったと考えるべきである。

刃傷の原因が吉良の悪口にあったことは様々な証言から間違いないことであるが、これまで刃傷の原因は不明で元禄赤穂事件最大の謎とされているが、それは吉良の悪口を否定するものではなく、吉良が内匠頭に対して悪口を発したその根本原因が特定されてないということである。

少なくとも、公儀による取り糺しに対して内匠頭は宿意(かねてからの恨み)があったと証言し、吉良は全く身に覚えがないと応じている。このような当事者間における認識の違いや感覚のズレは、未だもって無くならない現代のいじめ問題にも相通じるものがある。

吉良が内匠頭に対して悪口を発した原因については、それまでの内匠頭の些細な行為や発言が吉良の癪に障ったのか、ソリやウマが合わないなどの互いの性格に原因があったとも考えられるが、吉良への賄賂(進物)が少なかったとする説や両者間における指示伝達の手違いから生じた軋轢など、これまで巷間に伝わる夥しい数の憶測が存在しているが、いずれにせよ、今回の件で内匠頭が吉良に初めて挨拶に伺ってから僅か二週間後に刃傷事件が起こっていることから、この期間内に起こった出来事のなかに原因があったことは間違いなく、吉良自身は最後まで悪口を否認しているが、内匠頭としては吉良の悪口に対する宿意が増長するなかで、松之廊下での最後の一言が決定打となって刃傷に繋がっており、本当の意味においての刃傷の原因はやはり、具体的な証言を残さずに逝った内匠頭及び吉良のみぞ知るということになる。

※本記事は、2019年12月刊行の書籍『忠臣蔵の起源』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。