「傷つけたなら、ごめんよ。……僕もこのごろ混乱するんだ。君といると、何もかもどうでもよく思ってしまう時があるんだ。これが幸せなんだろうなぁ……でも、僕の幸せの感覚はどこかずれているから、そこにジッとしていられない。こんなの理解してくれなくていいよ」
「ううぅん。わかるわ」
「……髪をさわらせてくれるかい?」
「えぇ」

神矢は立ってきて、私の頭から肩まで、髪を何度も撫でた。

「愛してるよ」
「私も、愛してるわ」
「あぁ……」と、神矢はうなだれた。
「今日は、絵のモデルはどうしたらいいかしら?」
「今日はよそう。……しばらく一人でいたい。……春になったら来てくれ」
「わかったわ」

私はそっと、ドアを出た。二月、三月と、私は仕事と華道に没頭するように過ごした。考えても仕方のない事を、考えるのはよした。

四月になって、私は待ちかねていたように神矢に電話をした。彼は明るい声で、来るようにと言った。

うららかな春の日だった。芦屋の駅から彼のマンションまでの坂道は、桜並木になっていて、八分咲きで美しかった。

※本記事は、2019年6月刊行の書籍『愛』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。