殿中松之廊下刃傷事件

三月十四日は、城中において将軍が勅使院使に直接面会して奉答の儀が行われる御返答日と呼ばれ、一連の式典のなかでも最も重要な一日である。朝から勅使並びに院使らは松之廊下に面する下之間に控え、内匠頭も下之間に近い畳敷きの松之廊下に坐り、上座の桜之間近くには、すでに高家衆も着座し奉答の儀を前に只管将軍の準備が調うのを待っていた。

その時、御台様付御留守居番梶川与惣兵衛が、式典の時間が変更になったことで、勅使らが退城する時間を直接吉良に確認しようと松之廊下へとやってくる。ところが、吉良の姿が見当たらなかったことから、城内で雑務などを請け負う坊主に吉良の居場所を確認するよう指示する。

ところが、直ぐには吉良を見付けることが出来ず、梶川は松之廊下に控える内匠頭のところへ行き、式典が終わったら自分に知らせるよう伝える。すると、吉良が松之廊下の上手からやってきたので、梶川は吉良の方へと歩み寄り一言二言話しかけていると、内匠頭が吉良に向かって小さ刀を振り下ろしてきた。所謂殿中松之廊下刃傷事件である。

この時の様子を、儒学者室鳩巣が事件直後の取材をもとに纏めた『赤穂義人録』に記しているので、当日の朝の出来事と併せその部分を抜粋する。

……長矩等。集廊廡下議事。問義英曰。天使至。吾輩悪乎迎諸。迎諸階下為宜否。義英曰。此等浅近事。君尚不知。而今迫期急議。無乃為衆笑耶。会元妃藤原氏遣内使。謝恩天朝。(嚮有詔存問元妃)。先使梶川与三兵衛至。候将軍行礼畢還報。与三兵衛謂長矩曰。幕下行礼畢告僕。長矩曰諾。義英在傍。謂与三兵衛曰。君所議何事。僕当与聞焉。不然。恐失便宜。長矩知其少己。色動。

乃黙起。義英言於列曰。鄙野之子。屢曠於礼。不亦辱司賓之選乎。長矩之聞。不勝憤怒。乃反呼義英一声。以刀撃冠。中頭血流。義英眩惑。無意与敵。以手擁面而俯。長矩再撃之中脊。与三兵衛従長矩後抱止之。大友某品川某扶義英起。事聞。将軍大怒。命囚長矩。置右京太夫田村建顕邸。……とある。

因みに義英とは吉良上野介義央のことで、この『赤穂義人録』は赤穂浪士らが切腹した元禄十六(一七〇三)年に書かれた信憑性の高い史料である。原本は全て漢文で書かれているため、もう少し解りやすく翻訳すると次のような内容となる。

内匠頭等が大広間の外の廊下に集まっていた。そのときに内匠頭が吉良に「もはや御登城の時刻で御座ります。ついては御馳走役たる自分は、勅使及び院使を御玄関式台でお迎えすべきか、それとも式台下でお迎えすべきかをお指図願いたい」と申し出たところ、吉良は「君はそんなことも知らないのか、この期に及んでそのようなお尋ねとは、皆に笑われますぞ」と大名衆の前で言い放った。

その後、勅使院使らが登城し松之廊下に面する控えの間である下之間に入る。将軍からの奉答の儀を待つ間に、御台所の留守居梶川与惣兵衛が松之廊下にやってきて、内匠頭に将軍の礼が終わったら自分に告げるようにお願いし、それを内匠頭が承諾する。

すると傍らにいた吉良が「君が聞きたいこととは何か、どうせ内匠頭には判らないのだから、私に直接聞きなさい」と告げる。すると内匠頭はその言葉に色めき立つ。更に吉良は振り返って松之廊下の上座に控えていた高家衆に向かって、「鄙野之子。屢曠於礼。不亦辱司賓之選乎。」と言い放った。

要約すると「田舎者はしばしば礼を失する。そのようなことでは、あなたを勅使饗応役に推挙された方に恥をかかせますぞ」

これを聞いた内匠頭は憤怒の限界に達し、義英(上野介)との掛け声とともに吉良に迫り来る。吉良が驚いて振り向いたところ、内匠頭は吉良の額目掛けて小さ刀を振り下ろす。吉良は頭から血を流すと眩惑して戦意を喪失し手で顔を庇う。

すると内匠頭はさらに背中に一撃を加えた。この時、最も現場の近くにいた梶川与惣兵衛が内匠頭を背後から抱き止めると、その隙に吉良は同僚でもある旗本の大友近江守義孝と品川豊前守伊氏の二人によって抱きかかえられその場をあとにする。

※本記事は、2019年12月刊行の書籍『忠臣蔵の起源』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。