思いが通じ、仕事仲間が増えていく

翌日、私は飛ぶようにして九州に帰り、妹婿の黒川優君に会いました。彼はある会社の工務課にいて二級建築士の資格を持っていました。「東京に行って仕事をしないか」と単刀直入に切り出し、「施工班の責任者として頑張ってほしい」と頼み込んだところ、彼は快諾してくれました。すぐ黒川君を連れて虎ノ門のTOTOビルを訪れました。関山部長と大島課長に「彼に施工班責任者としてやってもらいます。後の人は今から探します」と言いました。

「TOTOサービス株式会社」はTOTOビルの六階のフロアにありました。そのフロアに多くの社員が机を並べ、仕事をしていました。その一角に机を一つ貸していただき、黒川君の仕事が始まりました。彼は建築士の資格を持っていましたので、最初はシステムキッチンの施工図を書くことから始めました。家賃も電話も無料でした。

最初は「仲宗根鉄工所住宅機器部」としてスタートしました。黒川君はもともと群馬県の出身で、群馬の東京に近いところに、おばさんが住んでいました。当面はそのおばさんの家から通勤するということになりました。

キッチンの施工の仕事も徐々に増えてきたので、施工図を書ける人をもう一人補充し、施工班を早く作るようにとTOTOから話がありました。私は製図学校や田中角栄が校長を務めた中央工学校などを訪ね歩き、女性で図面を書ける人を紹介してほしいとお願いしました。中央工学校の校長は女性で、私の話をよく聞いてくださり、「新卒の生徒はすでに就職先がすべて決まっております。ですが卒業生の中から紹介できる人がいるかもしれません」と言ってくださいました。

学校の廊下には求人企業の募集要項がずらりと並んでおり、同校の就職率の高さを感じました。

後日連絡があり、一人の卒業生を紹介していただきました。