爪木崎を交わしたその先二四五度に石廊崎が認められた。

さらにその左舷二一〇度には西から航行してくる船舶の指針、神子元島が望まれたがその間の下田沖の海域には、事前に海図で確認していた洗岩・暗岩群、サク根・石取根などが海の底から突き上げてきたように連なって顔を出し、うねりに合わせて上下して荒々しく泡立たせている。

船舶に携わる者にとっては洗岩・暗岩が一番危険である。

我々はその恐ろしい光景を怖々見ながら艇を進め続けた。

それから約一時間、腰の強い海流をディープVのハル(舷)に受けるのを感じながら石廊崎越えは終わり南伊豆の岩屏風の奥にひっそりと佇む中木漁港に滑り込んだ。

当時、陸の孤島と言われていたその中木の海からは式根・神津の島々が我々を招くかのように夏の太陽に燃えて間近に浮かんでいるのが見えた。

私には既に艇で伊豆の島に渡ってみたいとの願望があり、石廊崎を越えると言う想いを駆り立てていたのかも知れない。

伊豆半島の先端を極める事が我々海の仲間の夢であり、その夢を叶えるための大きな難関が爪木崎であったが確かにその後、爪木崎は我々シーガルの仲間にとって生死を分ける海との闘いの幾つかのステージとなった。

※本記事は、2020年11月刊行の書籍『海の道・海流』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。