列車での旅

インドの列車は、一等車だけを見ますと、もう日本の列車と全然変わらないぐらい立派な列車でした。ですが、せっかくだから庶民と接してみようということで、三等車に乗ってみたのです。三、四時間の三等車の旅です。三等車の中には、ニワトリやヤギが一緒に入っていました。私と一緒に行った幹事とは隣り合って座り、私たちと向かい合ってインド人が二人座っていました。

幹事がタバコを吸い始めたときのことです。幹事がタバコを窓際の棚に置くと、幹事の対面にいたインド人の男が、何もいわずにタバコを取って吸い始めたのです。もうびっくりしました。吸い終わったあとも、ひと言もいいません。

私はそれを見て、面白い国だと思いました。あとから知るのですが、インドでは「ありがとう」という言葉はいわないということでした。

ありがとうの代わりに

インドでは、どこへ行っても、子どもたちでも大人でも、お金をちょうだいと手を出してきました。一ルピー、二ルピーを渡しても、ひと言も「ありがとう」という言葉をいいません。不思議に思い、あとでロータリーの人に聞いてみたところ、インドでは「ありがとう」という言葉は使いませんが、その代わりに、「自分が施されたものは、またほかの人に分け与えるように」という習慣が身に付いているのだそうです。

それは多分に、宗教上の理由からだろうということでした。そのロータリアンは、それが結局「ありがとう」という気持ちの裏返しになるんですよ、という表現をされました。

「郷に入っては郷に従え」ではありませんが、実際に入ってみないと本当にわからないものだと、つくづく思いました。「ありがとう」をいわないで、施されたもの、たとえば一〇円をいただいたら、三円をほかの人に分け与えてあげるということです。それが相手に対する感謝の気持ちだという表現には、不思議と説得力がありました。

左手は不浄の手

あるとき、田舎へ行きましたら、お茶碗一つありませんでした。食事のときはどうするのかと思っていると、バナナの葉っぱを切って、それを板の上に置き始めました。そこにご飯とおかずを置いて、バナナの葉っぱの上から手で食べ始めました。必ず右手を使って食べています。左手は全然使いません。

不思議でした。なぜ右手だけしか使わないのですかと聞いてみたら、トイレに行けばわかりますという答えが返ってきました。

そこでトイレに行ってみますと、驚いたことにトイレットペーパーがありません。缶に水を入れて、それでもって洗うわけです。あるいは縄がありました。縄を切って置いてあります。「これでね」と案内してくれた人がいいました。「それには左手を使います」といわれて、ようやく理解できました。

だから左手は不浄な手ということでした。もし街に出て、“かわいい子だな”と思って左手で頭を撫でようとでもしたら、たちまち袋叩きに遭いますよ、と諭されました。

「頭を触るときは右手で触ってください」そこまでいわれました。やはり、現地に来てみなければわからないな、とそのとき思いました。

チャンドラ・セカランさんとの出会い

連日の過密なスケジュールを縫うようにして、地区年次大会出席のために訪れたウダガマンダラム(Udhagamandalam〈Ooty〉)は、標高が約二〇〇〇メートルの高地にあり、南インドにおける有数の山岳避暑地で、熱帯地方とは思えないほど夜の冷え込みが強く、暖炉の用意がされているにもかかわらず、風呂のお湯が出ないことには閉口しました。

年次大会の席上、日本からのメッセージを伝達し、サントス、ホッブス両博士らとともにP・C・トーマス会長宅を訪ね、三日間にわたる大会の労をねぎらい、会場を後にして、再び災暑の下界コインバトールに戻りました。

そこで私たちを待っていたのは、ポリオの後遺症で不自由な生活を余儀なくされている一人の青年、チャンドラ・セカランさんでした。両下肢の障害による歩行困難を患っており、新聞紙上で私たちの来印を知り、はるばる二〇〇キロメートルの遠路を、私の宿泊先まで診察を請いに訪ねてきたのでした。回復の可能性があれば、あらゆる手段を講じてチャレンジしたいということを切々と訴えました。

従来、当地では適切なリハビリを受ける機会もないまま放置されてきたようですが、神経症状や筋萎縮(きんいしゅく)の状態や年齢などから、まだ回復の可能性がかなりあると推測されました。

そこで、約六ヵ月間の約束で、インドのロータリアンの皆さんが日本への渡航の旅費を工面してくださることを条件に、また日本では、私たち沖縄セントラル病院リハビリテーションセンターにて、医療費、生活費のすべてをボランティアでして差し上げることを固く約束したうえで、できるだけ早い時期に沖縄での再会を待っていることを説明し、しばしの別れを告げました。

※本記事は、2019年12月刊行の書籍『 ひたすら病める人びとのために 上巻』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。