「茶化さないでよ、真剣なんだから」香奈は口を尖らせて村上の背後に回ると、地図を覗き込んだ。「どこなの、そのセミナーが開かれた場所っていうのは」

「八荘源ってところなんだけどね……」村上はしばらく地図のページをめくっていたが、「ほう、あった、あった」と頓狂な声を出した。

「温泉つきの別荘地があるな。八荘源国定公園というところの近くにあるんだそうだけど……香奈ちゃん知ってた?」

香奈が首を振ると村上は、「そりゃそうだろうな。俺も知らなかったんだから」と地図を目で追った。「信越線でかなり行ってから、ローカル線を乗り継いで、さらにバスに乗らなきゃならないぞ。田舎だなあ」

「ちょっと見せて」香奈は兄から地図を取り上げると、八荘源と書かれた地域を目で探した。「どれ、インターネットで調べてやろう」村上が自分の部屋に行ってしまうと、香奈は独り食い入るように地図を見つめた。

そこは、三方を山に囲まれた土地らしい。地図の上には等高線マークがびっしりと書き込んであって、七曲山だの八荘山だのという聞いたこともない山の名前が並んでいる。

「おおい、香奈ちゃん」と村上が大声で呼んだ。「出てきたよ」

村上の部屋に行ってみると、「竹尾村観光案内」と書かれたホームページが開かれていた。「八荘源のある村だよ、ずいぶん観光に力を入れているんだなあ」

ホームページ上にいくつかの写真が出てきた。ずいぶんきれいなところだな、山の写真ばかりだ、と香奈は思った。セミナーが開かれていなくってもいい、そこに行ってみたい、きれいなところなら、そこであの人との思い出を振り払ってきたい。

もしも小林さんが本当に人が変わってしまったのなら、その理由を少しでも知りたい、できることならどこでセミナーが開かれたのか知ってみたい……。

「おい、俺はもう寝るよ、香奈ちゃんぼーっとしてるぞ」

村上に言われて香奈はわれに帰った。絶対に八荘源に行ってみようと心に決めた。恋愛感情は人を大胆にさせるという法則もあるのかもしれない。

※本記事は、2020年10月刊行の書籍『百年後の武蔵野』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。