海と私 <東伊豆>

西回りで石廊を極めようとしていた私は、その難しさを知って逆に東から攻める事にした。

西は海岸沿いに走る基点が沼津であるため、東名高速を走り沼津インターで降りなければならないのに対し、東は海岸の渋滞状況によって厚木インターで降りて箱根ターンパイクの山の上を走り熱海、網代、伊東など好きな海岸線に降りる事ができる便利さがあった。

そのようにして、モーター・ボートをトレーラーで引いて石廊崎を極めようとしていたシーガルⅠ号は真鶴道路から熱海を経て網代へそして汐吹岬から川奈、富戸にまで達していたがその先の矢幡野港で事件を起こしてしまった。

トレーラーごと、車を海に落としてしまったのだ。仲間は車と船を同時に失った私を慰めようと、色々口実を作ってその頃結婚したばかりの私の家にただ酒を飲みに集まってきた。

テニス、スキー、音楽と仲間が得意とする話題に花が咲いたが最後はやはり石廊崎を越えて西を極める夢を語り合うのが常であった。

そのうち、陸奥湾のアワビの天敵と言われていた青森出身の仲間がより大きな船を買って網代の熱海マリーナの斜路から降ろし、石廊崎越えをしようではないかと言い出した。もう止まらない。すぐ実行した。

ヤマハスポーツ十七F・ジョンソン船外機二十五HP付きを手に入れた。シーガルⅡ号である。車もろともトレーラーを海に沈めた事によって意外と早く石廊崎越えの夢を叶える日が近づいてきた。

しかし、西伊豆の波勝埼から眺めたその先端の石廊崎に至る人を寄せ付けない海の厳しさ、怖さを見ている私は富戸にしばし留まり伊豆の先端への航海技術を磨く事にした。

なぜ富戸かというと海の仲間シーガルの名付け元となった富戸の喫茶店「シーガル」のオーナーとの偶然の縁による。