人類の誕生以来、小集団や小部族に始まる切り取り次第という混沌の中において、秩序や安心を求める人心が高じた黎明期(相当長い期間ですが)の人間界に数多の創唱宗教が漸次導入されています。

神や仏という絶対者の概念を組み入れて構成された宗教は、妄想といえども、強制的行動規範により人間界に秩序を、又人心にこの世やあの世に対する心のより所を得たという安心をもたらしました。この意味において宗教は人間界に一応の功績を残したということは認知できます。

然るに、宗教の実体は虚構が変貌した妄想ですから、これはあくまで人間界の黎明期に現われ、とりあえずの効果をもたらしたかりそめのシステムとして見るべきものであり、人間界を長きに亘って導く本道のシステムではありません。

一方、宗教の対象としているこの世における我々人間は、仮の自我(仮我)でしかない自我を持ち、一瞬も止まることなく移ろい行き(諸行無常)、己を己のものとすることもできぬ(諸法無我)夢幻のごとき実在です。

そうしますと、宗教の妄想と人間の夢幻という組み合わせもまんざら釣り合いが取れていないとも言えず、ならば、「堅苦しい理屈など云々する程のことに非ず、妄想で結構、我々夢幻は妄想と仲良くし楽しく生きるのも一興」という考え方があってもおかしくはありません。

そのような考えも然るべきなのかもしれません。但し、それには、少なくとも、宗教という妄想が人間界における秩序と安心を恒久的かつ平穏裏に維持できるのであれば、という条件が満たされる必要があります。

しかしながら、我々が妄想を真実と見せなければならない必然性を帯びる宗教と反省なく安易に楽しんでいますと、宗教がもたらす理不尽や宗教間・宗派間に生ずる争い、そしてそれらに由来する様々な負の出来事が人間界に湧出し、宗教を通して得ようとした秩序と安心は人間界から消滅し、宗教の存在そのものが人間界に不幸をもたらす結果を招来することになります。

これは歴史によりもう十分に証明されています。

※本記事は、2020年9月刊行の書籍『神からの自立』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。