人種・民族→争いから敬愛と融和の主体へ昇華

現状、人種・民族は人間界に争いを創造する主な主体の一つになっています。

然るに、争いの主体と言っても、争う理由を帯びてこの世に存在するに至っているわけではありません。どの人種・民族も分け隔てなく無垢で自由な存在として生を受けています。それを争いの主体にしているのはほかでもない我々人種・民族同士そのものであることは、人類の今ある愚かさであり、残念なことです。

従って、人間界から追放するべきは当然にどの人種・民族なのかというようなことではなく、人間の愚かさなのです。人間界からこの愚かさが消滅すれば、人種・民族は争うことはなく敬愛し合い融和する主体に昇華します。

過去における数多の争いで多くの恨みや憎しみが存在していることは事実です。しかし、無条件に(大切です)過去を許し合うことです。許し合うことで過去を変えることはできませんが、未来は変えられます。

許し合うことがなければ、恨みも憎しみもそして争いも未来永劫人類滅亡の時迄絶えることなく継続します。 人類滅亡をもたらす誘因にさえなります。許せない過去なのかもしれません。

しかし、許せない過去であるからこそ今無条件に許し合わなくてはなりません。許せない過去を引きずり、未来における許せない過去を今から新たに増産してはならないからです。

我々は未来を過去に支配されるような「愚か」は断たなければなりません。過去を許し合い、未来における人種・民族間の融和と人類の栄光を志向するべきです。

なお、この許し合うという思想は人種・民族に限ったことではなく、宗教間あるいは又国家間においても同様に大切です。

さて、このように許し合うことや武力を行使しての争いはしないなどは言うに易く実践不可能な机上の空論にすぎないのでしょうか?そうではありません。人類史において少なくても二つの実践例を挙げることができます。

※本記事は、2020年9月刊行の書籍『神からの自立』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。