邪馬台国ははたして一国として存在していたのか

『魏志倭人伝』の分析

邪馬台国という大きな連合体の中心がどこにあったか示している

考古学見地より判断

私は次の古代要素を根拠に特定した。

弥生時代に相当するので、稲作に必須の農暦を作り出したと予想される神籠石の国指定の遺跡がある地域を第一義として考慮した。

九州北部と山口県に所在する国指定文化財「神籠石」の所在地

石城山神籠石 山口県 旧周防国 熊毛郡
御所ヶ谷神籠石 福岡県 旧豊前国 京都郡
唐原神籠石 福岡県 旧豊前国 上毛郡
鹿毛馬神籠石 福岡県 旧筑前国 穂波郡
杷木神籠石 福岡県 旧筑前国 上坐郡
女山神籠石 福岡県 旧筑後国 三毛郡
雷山神籠石 福岡県 旧筑前国 伊都郡
高良山神籠石 福岡県 旧筑後国 御井郡
帯隈山神籠石 佐賀県 旧肥前国 佐嘉郡
おつぼ山神籠石 佐賀県 旧肥前国 杵島郡

文献史学側から判断

『日本書紀』、十二代景行天皇十二年七月の条から十九年九月の条の九州征伐の巡幸に出てくる古代地名と官職名を参考とした。

九州征伐の主な目的は、熊襲征伐が主題である。

『魏志倭人伝』には勝敗の不明のままの「女王卑弥呼に敵対する狗奴国(熊襲国)の男子王狗古智卑狗(くくちひこ)」との戦さが続いていることが記述されている。

景行天皇の足跡

景行天皇十二年九月五日

周防国佐波津より南望し、多臣の祖武諸木、国前臣の祖菟名手、物部君の祖夏花を検察に行かせる。

すると一国の魁師である神夏磯媛が、磯津山の榊の上枝に八握剣、中枝に八咫鏡、下枝に八尺瓊をとりかけ、そして船の軸に白旗を掲げて近づいてきた(三種の神器の初出)。

豊前国の長峡の縣に行宮(かりのみや)を建て、名付けて「京(みやこ)」という。

十月 大碵田国に到る。速見邑に到る。
十一月 日向国に到る。行宮を建てて「高屋宮」という。後の大隅国贈於郡。