5 九死に一生を得た交通事故

与論島から戻り、また医局勤務が始まりました。しばらくして、医局内の各臓器別の研修ローテーションの合間に、今度は大分県臼杵(うすき)市内にある柿田病院への出向を命じられ着任しました。

そこでもまた忙しい日々を送っていましたが、与論島とは違い、医療機器も充実しており、各科の技術・知識の習得に余念がない日々を送れました。正月の休暇を利用して久留米に帰り、年末年始は一家団欒(だんらん)で過ごすことができました。

名残は惜しいものの、医に生きる者の宿命でしょう。家族を残して、新年早々、私は赴任先へと自家用車を走らせました。

その途上、国道一〇号線の宇佐近郊を走行中のことでした。

バックミラー越しに猛スピードで追ってくる後方の車に気づいた瞬間、ものすごい勢いで追突され、その反動で前方の車に衝突し、サンドイッチ状態になってしまいました。

ハンドルで胸を強打するも、衝突を事前に察知していたため、大きな衝撃にもかかわらず大怪我(けが)を逃れたかに見えました。ところが翌日から、頸部(けいぶ)のむち打ち損傷からとてつもない痛みが発し、三九度の発熱が続き、一週間の療養生活を余儀なくされてしまいました。

ひとまず外来診療は休診し、入院準備をしましたが、病棟に空床がないため致し方なく宿舎にて点滴、絶対安静を強いられてしまいました。

衝突事故は、ひと頃より減りましたが、それでも死亡事故の発生は絶えませんし、自動車の安全走行支援システムが進歩しているにもかかわらず、車の暴走事故もよく耳にします。

私は、あの激しい衝突事故で甚大な怪我を負うこともなく、大した自覚症状はありませんでしたが、そういうときこそ、後から表れてくる怪我の怖さを思い知らされました。これも外科医としての私には、大きな教訓を残してくれました。

事故の規模、状況をよく聞き、たとえ、今は症状が発していなくても、CTスキャンやMRIを注意深く見て、どこかに隠れた損傷部がないかと念入りに探ることは、交通事故から搬送されてきた患者さんへの対応のみならず、さまざまな事故の被害者、人間ドック、身体検査など、あらゆる検査の現場では求められる姿勢だということです。ゆめゆめ怠ってはいけません。

さて、医師の立場から、療養をするということはまったく考えていないことでしたが、こうして絶対安静の状態になってみますと、患者さんの日頃の不如意(ふにょい)がいかばかりなものか、身をもって体験するという貴重な時間となりました。

この間、昼夜を問わず、氷のう・氷枕の準備、点滴業務、食事の準備と、筆舌に尽くせない苦労をかけた看護師のR子さんには感謝に堪えません。いわば、命の恩人でもあります。

このR子さんの看護ぶりはその後、私が病院を設立し、自前の病院を運営する際にも看護師採用の基準でしたし、病院での看護に対する基本的な指針をつくる際にも、大いに参考にさせていただきました。

6 学位論文のまとめ

学位論文をまとめる意義

医学部を出て、大学病院の医局に籍を置いた者は、その目的の一つに学位論文をまとめて、博士(ドクター)になるということがあります。

学位論文をまとめる作業は大変な労力が必要ですし、勉強にも不断の努力が要請されます。しかも、医局での仕事を続けながらですから、論文を整理していくという時間もままなりません。

しかし、大学病院で臨床と基礎医学の両方に携われることは絶好のチャンスですし、医科を志した人は、それをまっとうするべきだと私は考えています。

さて、私の場合は、当初、大学の第一外科(脇坂外科)に身を置き、胸部および腹部の内臓外科に関する基礎的技術習得が一巡したところで、最終的に脳神経外科に移籍したため、学位論文の主題は当然頭部に関するものとなり、脳神経外科の倉本教授より『定位脳手術における破壊法に関する実験的、並びに臨床的研究』という長いテーマをいただきました。

 

脳の不思議さ

ここから先は、少し専門的な話になりますが、医学に関係していない読者の方にも、ぜひお読みいただきたいと思います。それは、私が専攻した脳の仕組みに関して、ぜひ皆さんにも知ってほしいと思うからです。

人体は神秘のベールに包まれ、複雑かつ精巧な仕組みで運営されています。

皆さんも、考えるということはどういうことか、記憶はどうして蓄えられるのか、古い記憶はけっこう覚えているのに、つい昨日のことは意外と覚えていないものだとか、相手のいったことが理解できるのはなぜかとか、善意でいった言葉が誤解されて相手が怒るのはなぜかとか、いろいろな場面でさまざまな不思議な現象に遭遇されていることと思います。

卑近な例ですが、オシッコが出るのはなぜか、ということを考えても、それはもう人体の不思議さとしかいいようがありません。こうした不思議な人間という仕組みの中でも、脳は本当に不思議な部位ですし、一方で複雑に張り巡らされた神経網がじゃまをして、容易に手術ができない、という部位でもあります。

たとえば、胃に腫瘍ができた場合、現在の外科技術をもってすれば容易に摘出することができますし、開腹せずとも手術が可能な状態にまで来ています。

 

脳手術技術の歴史

脳の場合、その深いところにできた腫瘍は周りを神経が覆い、容易に到達できないという難敵です。

人間の脳に対する手術は古くから試みられてきましたが、いずれも直視下の手術であるため、大きな開頭手術を必要とし、しかも脳の深いところにある病巣部に到達するためには、まったく正常な脳の部分を切り開いていくことになりますから、当然その部分の機能障害を残すことが避けられず、生命の危険さえ大きいものでありました。

しかし、医学の基礎的研究は着々と進み、一九〇〇年代初頭には動物実験で、さらに一九四〇年代では頭痛を訴える患者に対して、初めて定位的装置を用いて脳の深いところにある病巣部への治療を試み続けました。

そして、人間の脳に対する手術法の革命ともいうべき、頭蓋骨(ずがいこつ)を切り開く必要がない定位的脳破壊法の一ページをようやく開きました。

 

定位脳手術における破壊法の研究

私の研究テーマは、パーキンソン症候群をはじめ諸々の病気に対して、定位的に大脳の深いところ(基底核群といいます)を選択的に破壊して目指す、臨床効果を上げるための方法の研究でした。

つまり、電気刺激、高周波電流、科学的物質、放射線、超低温および集束超音波などによる多種多様な手段が模索されており、その効果を動物実験並びに臨床的に検証することにありました。

そこで、実験的に定位脳手術を行うに当たって、人間の頭蓋と脳との解剖学的相関関係が最も一定しているのは猫であることに鑑(かんが)み、実験動物には性別に関係なく、体重二・五キログラム以上の健康と思われる成猫を使用することにしました。

とはいえ、対象となる猫を五〇~一〇〇匹ほど収集しなければならず、それには極めて難渋しました。近隣で飼い猫を譲ってもらうことも考えましたが、当然ながら愛猫をそのような実験のために手放してくださる家庭は皆無でした。

思いあぐねていたところ、義母から、北九州の炭鉱地帯、田川や飯塚地方では、廃坑によってその地を離れた家族がかつて飼っていた家猫が、今ではすっかり野良猫で野生化した状態で生き延びているとの情報を得ました。

早速そこを訪ねてみると、案の定、多くの猫が徘徊(はいかい)している姿に驚くとともに、これぞまさに天佑(てんゆう)とばかりに、その猫たちの捕獲を始めました。

私一人が網を持って追いかけ回しても、捕まえられるのは高が知れていますので、即刻アルバイト生を雇い、野良猫の捕獲を依頼しました。差し当たり飼育ゲージおよび餌の都合上から三〇匹ほどを捕まえてもらい、その猫たちを使って実験を開始しました。次いで残り二十数匹で一定の成果を得られたので実験を終了しました。

その後、人類医学の発展に寄与してくれた動物のための慰霊祭に参加し、この猫たちへの追善供養をしたことは申すまでもありません。

 

実験テーマのその後

今日では、脳内目標部位を選定する技術、手術機材の改良などが進化し、パーキンソン症候群、不随運動症のみならず脳性小児麻痺(まひ)、てんかん、さらにはある種の精神病、頭痛に対する治療が幅広く行われるようになり、その技法は応用法も開発されて種々の病気にも展開されるに至っています。

今こうして研究当時のことを翻(ひるがえ)ってみますと、脳腫瘍や脳血管障害などに対して、開頭手術を要さない最先端の治療法である、ガンマナイフにまさに直結した基礎的研究であり、脳神経外科領域の発展にも寄与できたものと、我ながら自負しています。

論文審査の結果、家族をはじめ多くの方々の指導、ご協力のおかげで、めでたく学位授与にあずかり、感謝感激したものでした。

 
※本記事は、2019年12月刊行の書籍『 ひたすら病める人びとのために 上巻』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。