奉公

生涯荒地の開墾に明け暮れ、零から身代を築いていこうとした次郎平は、道半ばにして病に倒れ、享保十六(一七三一)年、四十四歳で亡くなった。残された女房の里は、十六歳になった息子平吉とともに三反歩の畑で野菜作りに精を出した。

平吉は里を助けてよく働いた。里と平吉は府中宿だけでなく布田(ふだや)日野、遠くは武家屋敷のある八王子(はちおうじ)まで大八車を引いて野菜を売りに行った。

旅籠や商店では女子どもと足元を見られて安く買い叩かれたが、西国の飢饉の影響もあってよく売れた。現金収入は嬉しかった。

里は少しでも多く、そして高く売るため、採れた野菜を漬物にしたり、野菜の種類を増やすなどして村人の憐れむ目をよそに、まだ暗いうちから引き売りに出掛けた。平吉が嫁をもらった。

名を初(はつ)といった。初の親は八王子の恩方(おんがた)で炭焼きをなりわいとしており、親子で追分の千人同心屋敷へ炭を売りに来ていた。親子は、いつも大八車に山のように炭を積み、それを父親が引き、母親と娘の初が後ろから押して八王子宿にやってきていた。親子共々背負子にも炭をくくりつけていた。

その千人同心屋敷で引き売っているときに出会った。炭は生活の必需品であり、煮炊きや暖房には欠かせないため直ぐに売れてしまうのであるが、初は平吉のためにいつも背負子の炭を一束残しておき、それを売れ残った野菜と交換してくれていた。

平吉が小遣いを貯めて買い求めたのであろう柘植の櫛を、初が頬を真っ赤に染めてうつむきながら嬉しそうに受け取っているのを見た里は、本家の次郎右衛門を間に立て、初を嫁にもらいに恩方へ出向き、その年の秋にふたりはめでたく結婚した。

里にとって夫、次郎平の亡き後の最も嬉しい出来事であった。

※本記事は、2020年11月刊行の書籍『ゑにし繋ぐ道 多摩川ハケ下起返物語』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。