真面目に先祖を慈しみながら思う、その顔。
日本を思い、踊り続けてきた盆踊り。

私の心に描かれたのは、移民してきた人たちにとって『着物』は、『日本』そのものだったのではないか? ということでした。

であれば、私はもっと着物を勉強して、先祖のために、今衰退する着物を助けなくてはならない! 私がそれをやるのだ! もっともっと知る必要があるのだ!

スイッチが入りました。

着物のことをあまり知らない私は、まず着物や日本の生地を売っていそうな近所の店を回ることに奔走しました。しかし、近所の生地屋さんには、チャイナドレスのような生地やインドのサリーのような生地は豊富にありましたが、日本の着物生地を見つけることはできませんでした。

それもそのはず、アメリカにはチャイナタウンが多く、サンフランシスコやロサンゼルスにある有名なチャイナタウンは勿論のこと、車で近所の路地を入るとその一帯が小さな中華街という場所がいくつもあり、たくさんの中国人が住んでいたからでした。

カリフォルニアには大きなスーパーマーケットを中心にさまざまな店が集合していましたが、アメリカのスーパーマーケットに次いで多かったのは、中国のスーパーマーケットでした。

1990年代に入りIT産業が勃ぼっこう興してきたシリコンバレーには、多くの日本人がいましたが、2001年の同時多発テロ以降に激減しました。

困難になると、ますます加速するのが『知りたいスイッチ』です。なんとか日本の着物の生地を見つけたいという思いで、サンフランシスコの日本人街まで出掛けて探しました。しかし、そこにあったのは、空港などのお土産物として売られているMade in Chinaのサテンに刺繍(ししゅう)が施された『偽物の着物』ばかりでした。

日本で盆踊りを踊った頃、若者が真面目に踊る姿は少なかったですし、故郷でも東京でも普段に着物を着る人の姿を見たことがなかったことを思うと、アメリカで着物が売られていなくても仕方がないなと思いました。