「知りたい」は「恋」のスイッチと同じ

何かのきっかけによって、ある時から『相手をもっともっと知りたくなる』気持ち、それは『恋』。恋のスイッチが押された瞬間です。そして、その瞬間から思いは加速します。

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寝ても覚めても、どうしているかなぁと頭の思考回路を占領します。
どこまで行っても『知りたい』が続き、どこまでも自分にとって未知な相手なら、その恋は簡単には終わらないと言えます。

予想外に相手から急接近され、勝手に『知りたくなる』思いに『知ってほしい』と入り込まれたら収束するもの。全て知ってしまえば『飽き』が忍び寄るからです。

私にとって『着物』との出会いは、まさに『恋』でした。

さかのぼること1890年頃、日本からアメリカのサンノゼへと移民した先祖が始めた『ボン・フェスティバル』。2002年から2年間、その近くに住んでいた私は、夏にフェスティバルに行きました。

集まって踊るのは移民の末裔(まつえい)たち、四世から五世の人々でした。老若男女の人々が400人。カリフォルニアの青い空に響く太鼓の音に合わせて、櫓やぐら太鼓の周りを揃いの浴衣で踊っています。

首から掛けたお揃いの手ぬぐいや、団扇(うちわ)、杓文字(しゃもじ)を使って踊る団体の中、先祖からのサイズの合わない着物を着ている紳士や、明らかに子供用の着物を着た婦人など、それぞれの顔は、いたって真面目そのものでした。

そして、世代の違う一人ひとりの顔から、日本人の誇りが見えました。

「自分たちの顔は日本人とは離れたけれど、100年以上の月日は過ぎても、先祖のことは忘れない」と、私に語りかけている光景でした。

私はその場から立ち去ることができず、連れてきた中学生の次女と一緒に、一時間以上その光景を見つめていました。そこにいた全ての人々の着物(浴衣)姿に一目惚(ひとめぼ)れをしてしまったのです。そして、『知りたい』のスイッチが入ったのでした。