人質は「三億円の田んぼ」……。
世界一の日本酒をめぐり、渦巻く黒い思惑。
『田に毒をまいた。残りの山田錦が惜しかったら、五百万円用意しろ』。
烏丸酒造に届いた一通の脅迫状。見れば一本百万円を超える純米大吟醸酒の元となる田の一角が枯らされていた。捜査の過程で浮上する、杜氏の死にまつわる事件の疑惑。そして、脅迫犯が突きつける、前代未聞の要求とは――。
酔(よ)みすぎご注意。 ふくよかに味わい深い、発酵醸造ミステリーを連載にてお届けします。
玲子は、そう言いかけてから、葉子を見やった。
「いや、そうでもないか。被害にあったのは気の毒だが、今夜ちょっとした手掛かりにはなった。全くの無駄足ではなかったな」
「僕も仕事柄、脱法ライス栽培の噂は聞いたことがあります」
富井田課長だった。皆の視線が、集まる。恥ずかしそうに、パツパツのパジャマの前を、無理矢理引っ張って、かき合わせた。
「他の稲と混植したりして、巧みに隠しているようです。正規の飯米や酒米も作って、売ってるので、脱法ライス米を闇で取引きされたら、絶対にわかりませんね。かなり高額で売買されてるので、手を染めてる農家は二桁じゃきかないという噂です」
「育種家の下で、栽培者をマネージメントする管理官(かんりかん)という輩(やから)もいる。規模が大きく組織的な犯罪なのだ……」
玲子と富井田課長のやりとりを聞くうち、徐々に葉子の意識は遠のき始めた。ふと、境内で見かけた人影が頭に浮かんだ。太った男が、五平餅屋と話してた気がする。見たことのある男だったが、どこで見たのか。思い出せないまま、葉子は眠りに落ちていった。
※本記事は、2020年10月刊行の書籍『山田錦の身代金』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。
【主な登場人物】
山田葉子:日本酒と食のジャーナリスト
矢沢タミ子:居酒屋経営者
矢沢トオル:タミ子の息子
葛城玲子:播磨署警察官 警視
高橋 仁:同 警部補
勝木道男:同 捜査一課課長
烏丸(からすま)秀造:『 天狼星(てんろうせい)』醸造元 烏丸酒造 蔵元
烏丸六五郎(むつごろう):同 先代蔵元
多田康一:同 前杜氏(とうじ) 故人
大野 真:同 副杜氏
佐藤まりえ:同 賄い担当
速水克彦:同 新杜氏
富井田哲夫:県庁農林水産振興課課長
松原拓郎:農家
松原文子:拓郎の妹 農家
桜井博志(さくらいひろし):『獺祭(だっさい)』醸造元 旭(あさひ)酒造会長
甲斐今日子:酒屋
黒木 将:酒屋
ワカタ ヒデヨシ:元プロサッカー選手、日本酒プロモーター
スティーブン・ヘイワード:有機認証機関検査官