テレビや冷蔵庫などの粗大ゴミもそこに投げ捨てられたままだ。かすかにビルディングの窓からラップが聞こえたり、通り過ぎる車から一瞬、重低音の単調なリズムが響いたりすることはあっても、ここは妙に静かな場所だ。あまりひとけがない。橋の上をものすごい速さで走る車の音やビルディングの横をガタガタとゆっくり通り過ぎる地下鉄の音がただ耳を煩わせる。

 

この地区から数多くのアーティストが生まれている。ラッパーNasもまたQ.B.出身だ。

Q.B.出身のアーティストたちは、成功を手にしてここを去って行った。頻繁にHoodを訪れ、無料でイベントを開いたり、子どもたちの教育のために基金を設立したりと積極的にHoodに貢献するアーティストもいる。

Nasはしばしばこのストリートに戻って来る。Q.B.恒例のバスケットボール・トーナメントやバーベキュー・パーティーには必ず参加し、Hoodを盛り上げる。

ビルディングのメンテナンスをしている男性Tが私に言った。“He shows us love.(彼はHoodを大切に思ってくれてるんだ)”「あっ、ちょうどいい。あいつ知ってるか? 紹介するよ」。

そう言ってTが連れて来たのは、ラッパー2人組BARS&HOOKS(バルズ&フックス)のBARSだ。背が高く、鋭い目にコーンローヘア。

BARSは自分たちのミュージックDVDを売ってまわっているところだった。Featuring(フューチャリング)・アーティストには、Q.B.出身のNasをはじめ、その他大物アーティストばかりがその名を連ねる。

Tはポケットから10ドル札を出しBARSに渡した。「このDVD、君にやるよ」。BARSからそのDVDを受け取り、私は自分の手を前に差し出した。彼の大きくて柔らかな手が、私の手をやさしく包み込んだ。

ラッパーになるという夢を抱く若者が毎日どこかで生まれ、少しずつその道を上へ上へと進み、歩んで行く。

※本記事は、2020年11月刊行の書籍『HOOD 私たちの居場所 音と言葉の中にあるアイデンティティ』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。