一組の老いた男女が、青春時代の思い出の場所、もう今では廃墟になったディズニーランドに立っている。六十年後に会いましょう、と書かれた横断幕が舞台の中央に貼ってある。今日が約束の日だ、ちょうど僕たちは平均寿命を迎えた、と男は言う。六十年前に僕が撮ったビデオをもう見てもよいだろう。

男はパソコンを取り出すと、画面をつける。すると、音声が語りかける。きっと僕たちは六十年後にここにいるだろう。そのときまでに何があるのか、このビデオはその予告の記録である……。

一人の男が映し出される。それは眼鏡の男だ。男はふとしたきっかけから学生運動に入り、傷害事件で獄に繋がれる。その間に女の方は、結婚してしまう。男は出獄後女に深い恨みを抱くが、時と共にだんだんと恨みは風化していく。

一人の男が映し出される。それは眼鏡の男だ。男はふとしたきっかけから学生運動に入り、傷害事件で獄に繋がれる。その間に女の方は、結婚してしまう。男は出獄後女に深い恨みを抱くが、時と共にだんだんと恨みは風化していく。

再び場面は変わって、今度は二人の男女が映し出される。それは女の家族である。彼等はディズニーランドで遊んでいる。ちょうどマシンが水に突入するところで、幸福そうな二人に水しぶきがかかって場面はフェイドアウトした。

舞台は転換して、楽しげな生活が進行しだす。二人は結婚する。女の子が生まれ、その子は育って、お嫁に行ってしまう。彼らはだんだん老いていく。

ビデオが進み、女はそのビデオが自分の一生をそのままなぞってきていることに気がついた。あれはわたしだわ、と女はいった。結末はどうなるの、ねえ、教えて、いったいどうなるの。男は黙ってビデオを消す。

「僕は戦ってきたんだ。君が楽しんでいる間ずっと」と男は言う。
「何に対して戦ってきたの」と女は聞いた。男は首を振る。

「わからない。敵などいなかった。でも僕は戦ってきた。あえて言えば僕は暖かな手を差し伸べる豊かな生活と戦い、女たちの窒息するような愛情と戦い、その他にも得体の知れないものと戦ってきた。敵がいない戦いほど疲れるものはないよ。僕はそれを誇りに思って死んでいくだろう。ところで君は何と戦ったんだ?」

その夜、女は生まれて初めて神に祈った。

※本記事は、2020年10月刊行の書籍『百年後の武蔵野』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。