京城駅(第二東京駅)

駅舎はルネッサンス式の石材、レンガ併用鉄筋コンクリート建築。表側は二階建て、乗降側は三階建て、一階の右には事務室、左には食堂。プラットフォームは一段下へ降りる形になっていました。

朝鮮之風光(昭和2年・1927年)より京城駅 (国立国会図書館ウェブサイトより)

大正10年(1921年)着工で、竣工は大正14年(1925年)。1947年、韓国の首都の駅ソウル駅に改称ののち、2004年まで使用。現在は文化駅ソウル284(文化交流施設)として日本が残した大規模建築物をことごとく破壊していった韓国のなかにあって貴重な姿を残しています。

なぜ、この駅が東京駅に似ているかというと、李王垠殿下への結婚祝いとして、似せてよいと大正天皇に許可をいただいたからです。ひとめ見て、日本の帝都の東京駅に似ていれば、それだけで、この駅がほかの駅より格式が高いということがわかります。

明治40年(1907年)嘉仁親王(大正天皇)をお迎えするべく京城南大門停車場に日本の国旗と韓国の国旗を掲げています。この駅が一度建て替えられ京城駅と呼ばれるようになり、そののち東京駅に似せた壮麗な京城駅が建設されました。(国立国会図書館ウェブサイトより)

それは、京城が土地柄、王族や両班(朝鮮半島の特権階級層)が多く住んでいた場所ですので、儒教の影響で何事にも上下にこだわるこの人たちに、自分たちの新しい王(皇帝)への贈り物が、日本の帝都に並ぶものですよ、下に見ていませんよと、好印象を持ってもらいたかったことでもありました。

そして、この駅の建設命令が、大正天皇の贈り物という極めて個人的な意味をも持った「第二東京駅建設命令」として祖父靖国に降った理由は、京城駅と呼ばれる前の南大門停車場時代に、陛下ご自身がこの地に立たれ李王垠殿下と交遊を持たれた思い出深い場所だったからでした。