大官と戸数が書かれていない二十一カ国

①七番目に投馬国が出てから八番目に邪馬台国が初めて表れている。続いて邪馬台国を構成する旁国の二十一カ国が続いている。

斯馬国、巳百支国、伊邪国、都支国、彌奴国、好古都国、不呼国、姐奴国、対蘇国、蘇奴国、呼邑国、華奴蘇奴国、鬼国、為吾国、鬼奴国、邪馬国、躬臣国、巴利国、支惟国、烏奴国、奴国

②邪馬台国の構成国で辺傍の二十一国であるが、国名のみが書かれているが、その国が現在のどこに当たるかは、決めるのが大変困難であるが、音を頼りに検討をしてみた。

その結果、辺傍の国々は次のように比定できる。

1、斯馬国 (し、筑前国志摩郡)
2、巳百支国 (い、周防国熊毛郡石城山神籠石)
3、伊邪国 (い、筑前国穂波郡鹿毛馬神籠石)
4、都支国 (つ、肥前国杵島郡おつぼ山神籠石)
5、彌奴国 (み、筑後国三潴郡)
6、好古都国 (お、筑前国遠賀郡)
7、不呼国 (ふ、肥前国藤津郡)
8、姐奴国 (さ、筑前国宗像郡)
9、対蘇国 (と、肥前国鳥栖郷)
10、蘇奴国 (さ、肥前国佐嘉郡帯隈山神籠石)
11、呼邑国 (こ、肥前国小城郡)
12、華奴蘇奴国 (か、肥前国神崎郡)
13、鬼国 (き、肥前国基肆郡)
14、為吾国 (い、筑後国生葉郡)
15、鬼奴国 (き、筑後国御井郡高良山神籠石)
16、邪馬国 (や、筑後国八女郡)
17、躬臣国 (く、豊後国玖珠郡)
18、巴利国 (は、筑前国上坐郡把伎杷木神籠石)
19、支惟国 (き、筑前国三毛郡女山神籠石)
20、烏奴国 (あ、長門国豊浦郡)
21、奴国 (な、肥後国玉名郡)

倭人は、中国の取調べ官に、持参の母国の資料を基に口頭で説明し、相手方の取調べ官は、聞いた言葉の音を頼りに文字を当てて記録に残したと考えられる。

※本記事は、2020年11月刊行の書籍『邪馬臺國は豐國にあり 歴史学と考古学から読み解く⽇本古代史』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。