人質は「三億円の田んぼ」……。
世界一の日本酒をめぐり、渦巻く黒い思惑。
『田に毒をまいた。残りの山田錦が惜しかったら、五百万円用意しろ』。
烏丸酒造に届いた一通の脅迫状。見れば一本百万円を超える純米大吟醸酒の元となる田の一角が枯らされていた。捜査の過程で浮上する、杜氏の死にまつわる事件の疑惑。そして、脅迫犯が突きつける、前代未聞の要求とは――。
酔(よ)みすぎご注意。 ふくよかに味わい深い、発酵醸造ミステリーを連載にてお届けします。
ダンっという衝撃と共に、呼吸ができなくなった。身体に、何か巻きついてくる。ほどけない。
苦しいが、身体が動かせない。助けを、叫ぼうとしたとき、口から水が入ってきた。葉子の意識は遠のき、途切れそうになった。
意識が途切れる寸前。浮揚力を、感じた。身体が、グッと浮かび上がる。
顔が、水面から出た。大きく、息を吸い込んだ。誰かが、支えてくれている。
「ヨーコさん、大丈夫ですか?」
聞き覚えのある声が、聞こえた。誰だったか? 呼吸が楽になり、安心したとたん葉子は、意識を失った。
「おっ、目が覚めたかい」
目が覚めると、タミ子が心配そうに、のぞきこんでいた。
「良かったぁ。気がついたね。ヨーコさん」
トオルの声も、聞こえる。気づくと、葉子は、白く清潔なベッドの上に寝かせられていた。
「おかあさん、ここは?」
「救急病院だよ。もう大丈夫さ」
タミ子の後ろから、トオルの心配そうな顔ものぞいている。ふと、安心した瞬間、心の底から恐怖に襲われた。
どす黒い不安に、心が飲みこまれる。葉子は、大声で泣き出し、タミ子に抱き着いた。
「おかあさん、おかあさん、おかあさん。怖いよ、怖いよ、怖かったぁ」
「ああ、よしよし。もう大丈夫だ。安心おし。大丈夫、大丈夫だから」
タミ子に、ヒシと縋りつく。年齢からは、想像できないほど、がっちりした体格には、どっしりとした安心感があった。
※本記事は、2020年10月刊行の書籍『山田錦の身代金』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。
【主な登場人物】
山田葉子:日本酒と食のジャーナリスト
矢沢タミ子:居酒屋経営者
矢沢トオル:タミ子の息子
葛城玲子:播磨署警察官 警視
高橋 仁:同 警部補
勝木道男:同 捜査一課課長
烏丸(からすま)秀造:『 天狼星(てんろうせい)』醸造元 烏丸酒造 蔵元
烏丸六五郎(むつごろう):同 先代蔵元
多田康一:同 前杜氏(とうじ) 故人
大野 真:同 副杜氏
佐藤まりえ:同 賄い担当
速水克彦:同 新杜氏
富井田哲夫:県庁農林水産振興課課長
松原拓郎:農家
松原文子:拓郎の妹 農家
桜井博志(さくらいひろし):『獺祭(だっさい)』醸造元 旭(あさひ)酒造会長
甲斐今日子:酒屋
黒木 将:酒屋
ワカタ ヒデヨシ:元プロサッカー選手、日本酒プロモーター
スティーブン・ヘイワード:有機認証機関検査官