神殿に矢を射かけるは重罪なり律令に拠り流罪にすべしと

*律令 奈良・平安時代は律令法制による統治。

 

山門と争ひ矢を射しわが祖父は呪ひの祈禱に殺められたり

*承徳(じようとく)三(一〇九九)年、藤原師通(もろみち)急死。
嘉保(かほう)二(一○九五)年、強訴撃退に際して、
神輿(しんよ)を射立て神人を殺害した、その祟(たた)りと信じられた。

 

かたくなに異議をとなふる頼長を鳥羽院いまやうとみはじめつ

※本記事は、2013年2月刊行の書籍『花と散りにし』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。