近代の日本において新しい女性像を作り上げた「蝶々夫人」のプリマドンナ、三浦環。最近では朝ドラ『エール』にも登場し話題となりました。本記事では、オペラ歌手として日本で初めて国際的な名声を得た彼女の華々しくも凛とした生涯を、音楽専門家が解説していきます。

作曲家 楠正一の手記に綴られた、三浦環への想い

環への幕情おさえがたく「男子須く悶々たる日夜を送らんよりは、大いなる決断もて、求愛の挙に出でざるべからず」とある。また環の自転車姿を次のようにも記している。

「長く垂れし黒髪に、真紅のリボンをつけ、胸高に締めたるえび茶の袴を翻えしつつ、自転車にて通う姿、凛として目に鮮やかなり」

「あゝ玉杯……」発表の後日になるが「数秒間、恍惚として映ずるものなし、全霊を支配するもの、ただ彼女の芳香と体温のみ……」とし、その時彼は、徳富蘆花(一八六八~一九二七)の『思出の記』を憶い浮べたと記している。(※1)小石川植物園での解逅の体験であるがそれだけのことであった。

楠は熱烈な手紙を書き手紙で求婚した。環から返事がはじめて来た。この辺は石川氏の創作と思われるが、環の心情、立場、時期的な背景などがよく考えられ、まことに巧みに描かれているので転記しておく。(※2)

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度々のお手紙うれしく拝見いたしておりました。

それにも拘らず、ご返事もさし上げず、なにとぞお許し下さいませ。

いま、オペラのお稽古で毎日夢中の状態です。

私ども生徒だけの上演ですけれども、

きっと成功させてあなた様にもよろこんでいただきたいと念じております。

きのう頂きましたお手紙、お心うれしゅう存じます。

でも、私にはお受け出来ない事情がございます。実はフィアンセがいるのでございます。

ずれお目もじの節お話申し上げたく存じております。

植物園でのことすこしも後悔しておりません。

あのとき、あなた様の愛情を素直に感じ、私もまた、

その愛情に応えておりましたことは事実でございました。

お心、有難く、いつまでも胸に秘めておきます。

お稽古で当分のあいだお会いする機会もないかと存じますが、

いつもご健勝でいらっしゃいますよう、お祈り申し上げております。

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