しばらくすると、オカンが戻ってきて、そのすぐ後に続いて「お待たせー」と底抜けに明るい声を発する田口さんが入ってきた。お盆にのせた紅茶セットを運び入れ、上等そうな白いカップに紅茶をついでくれた。オカンは、カップ横のお茶菓子を手に取り、「和三盆やん」と嬉々として弾んだ。

「せやで。ショウタニのヤツ。頂きもののやつやねんけど。きよちゃん、好きやろ?」

「ありがと。和三盆めっちゃ好き」

「駿一くんも食べ。美味しいから。ほれ、遠慮なく」

「ありがとうございます」

田口さんは、オカンと僕が座る反対側のソファに、どしりと沈み込むようにゆっくりと座った。着座してオカンの体全体を確認するように見てから、彼女は口を開いた。

「どや、きよちゃん?」「うん、……ぼちぼち」「入院はいつからやの?」「来月のアタマから」「……そうかぁ」言葉を吐き出す田口さん。ビッグボディから放たれた溜め息交じりの消え入りそうなその声を、天井埋込型換気扇がしゅうっと吸い込んだ気がした。

「たぐっちゃんには、人手不足やのに迷惑かけるなぁ。ほんま、ごめんね」

「何を言うてんねんな。病気のときはお互いさま。大丈夫やって、きよちゃん」

オカンは「ありがとう」と言って、深々と頭を下げた。

「殿村もおるし、最近入った若手の青木だっておるし、園長も協力してくれる。それに―、」

田口さんの目線は、オカンから僕へと横スライドされた。

「最悪、仕事まわれへんかったら、駿一くんにバイトで手伝いに来てもらうし」

「僕っすか!?」と僕は驚いた。

「僕や! オカンの代わりに頑張って働け、僕!」と力強く言った田口さんの言葉に、オカンが「無給でええで」と被せて二人で笑った。僕も、無給はないやろぉ、と戯けた。二人が笑った。

オトンと結婚した頃、少しでも家計の足しになればと、オカンは児童養護施設で働き出した。もとはと言えば知り合いの紹介で、食事をつくったり、学校の宿題をみてあげたり、子ども達の身の回りの世話をする程度の、短時間パートとしての勤務だったらしい。パートとしてのキャリアが長くなるにつれて、責任感のある真面目なオカンの仕事ぶりに、職員および子ども達からの信頼がどんどん厚くなっていった。

オタクと呼ばれるくらいにお笑いに造詣が深く、お笑い博士というキャラクターも追い風となって、当該施設の名物パートおばちゃんというポジションを勝ち取ったオカン。園長を含めた管理職は、オカンという人物を余人を以て代え難い人材であると認定し、園は無資格であったにもかかわらず、オカンをパートから契約職員に昇格させて雇用した。その頃、同じく採用された同期が、このビッグボディ田口なのだ。

「園長にはどう言うの?」

「うん。正直に病気のこと話す。1年間病気休職させてください、って希望出してみる」

「そっか」

「手術して治療も始まるから、いつ復職できるか検討つかんくて。でも、もし園に迷惑かけるようなら、退職しようとも思ってるねん」

「アホか、きよちゃん。園長が辞めさせてくれるわけないやん。病気治して、一刻も早く戻ってこいって言われるわ」

「そうかなぁ」

「当たり前やろ。今の施設にー」

田口さんが続けてオカンに何かを伝えようとした時、テーブルの上に置いてあった彼女の携帯電話がけたたましく鳴った。着信音とあわせてバイブが作動。まるで地を這う生き物のように、テーブルの上でぶるぶると震えて、奇声を発しながらくねくねする。

田口さんがソファから重い腰をあげ、巨体を前のめりにして、その生き物を手に取った瞬間、電話はぷつりと切れた。「なんでやねん!」と彼女は太い首を大げさに振り、一人電話にぷちりとキレた。携帯電話を手に取り、ぷつり途切れた着信履歴を確認して、かけ直す彼女。「はい、はい。わかりましたですぅ」と数秒の会話を終えた彼女は次にオカンを見て「会議終わったから、園長室に入ってきてって」と言った。

「あ、そう。わかった」とオカンは食べかけの和三盆を紅茶で一気に流し込んでソファから立ち上がった。僕はオカンの胃事情を思い起こして、リバースしないか少しだけ心配した。

「きよちゃん、私も行こか?」

「ありがとう。大丈夫。大事な話やから、園長と二人でゆっくり話したいから」

田口さんはオカンの律儀を受容して頷いて「わかった」と言った。

「ほな、駿ちゃん。園長と話してくるから、ちょっとここで待っててな」

オカンは「ほなね」とベタな大阪弁を付け加えて応接室を出て行った。

※本記事は、2019年11月刊行の書籍『尼崎ストロベリー』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。