「駿一くーん、おっきなったなぁ! 他人の子どもは知らんうちに育つってほんまの話やなぁ」

「どうも」

「まぁまぁ、とりあえずさ、そこのソファ座って」

「たぐっちゃん、ごめんね。忙しいとこ」とオカンは気を遣った。

「何言うてんのな! 子どもらも、きよちゃんに会えて、めちゃめちゃ喜んでたやんか」

「そうかなぁ」

「そうかなぁ、やあらへんやん。もう、ヒロくんなんか嬉しすぎて号泣やったもんなぁ」

「あはは。ヒロくん、私の太腿に抱きついて、なかなか離してくれへんかったもんな。あの子は、人懐っこくて、ほんまカワイイ子やね」

「ほんま、人気モンは羨ましいわぁ。いくつになっても、美人さんは得やねぇ」

「そんなええもんちゃうよ」

「私なんか、この前、ヒロくんに、田口先生はデブの汗かきやから抱っこせんといて、って言われてんでぇ」

「あはは。いや、それも、たぐっちゃんのキャラやんか。愛されてんねんで」

「それやったらええけどさぁ」と田口さんは口を尖らせて、ふ、と思い出したように続ける。

「あ、今、園長ね、会議が長引いてて、もうちょっと時間かかるみたいやねん。それまでこの部屋で待っててくれる? お茶でもいれるし、ちょっと待ってて」

オカンの職場の同僚である田口さんは、兎に角、デカイ。外見的なことであるのか、内面的なことであるのか、どちらかと問われれば、どちらもなのである。ココロとカラダ、にんげんのぜんぶ、どデカイ。

身体的なことから触れると、仮に僕の上にマウントされたならば、1分もあれば圧死する自信はあるし、ラーメンを食べていれば眼鏡だって「常」くもる。滝行の修行帰りですよね、と声をかけたくなるほどに尋常じゃないほどの汗もかく。「常」濡れている。とりあえず、どデカイ。

内面的なことを言えば、小さなことは気にしない大雑把な性格で、人情に厚く面倒見のいい優しい人で、人間としての器がどデカイらしい。彼女はオカンの若かりし頃を知る貴重な人物で、オカンの新婚生活を傍でみてきた人物。僕を身篭り、僕がこの世に出生するときも傍でオカンを支え続けた人間である。というわけで、オカンの田口さんに対する信頼は半端ない。

一方、僕自身は彼女と深い付き合いは一切ない。だから、基本オカンからの伝聞ではあるのだけれども、彼女と対面して実際に接してみると、その性格が理解できるような気持ちになる。喋り方は、完全に大阪のおばちゃんのおせっかい感はあるものの、そこには何ともいえない温かさが見え隠れする。

内側から外側に向かって滲み出てくる優しさっていうのは、モノホンだと僕は思う。田口さんは温かくて、器のどデカイ人物なのである。

案内された応接室で、彼女がお茶の準備をしてくれている間、ソファに座って待った。オカンはお手洗いに立った。僕は一人、手持ち無沙汰で部屋の中を何気に見渡して時間を潰した。

10畳ほどの味のある応接室には、僕が座っているソファ、上質っぽい艶のある木製テーブル、スチール製の本棚が置いてあり、他は何の装飾もなかった。光線が乏しい部屋である。

スチール製の本棚は、部屋の隅に二つ並べられていて、そのいずれにも使い古された書籍がぎゅうぎゅうに詰まっている。―児童養護施設児の心理臨床、虐待された子どもたちの未来、里親制度と社会のかかわり―、などの児童養護関連書籍で、本棚は埋め尽くされていた。

本棚の中段に写真たてがひとつ。写真には、夏祭りだろうか、法被姿のたくさんの子ども達がピースサインで映りこんでいる。笑顔の子ども達に囲まれて、ハッピーそうに笑みを浮かべるオカンを見つけた。

※本記事は、2019年11月刊行の書籍『尼崎ストロベリー』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。