島崎は一拍置いて言った。

「芹生さん。前回頂いた質問に絡みますが、青陵文学賞の一次選考で各委員の先生に割り振られる作品数はいくつだと思いますか?」

「まったく想像がつきませんが……。十から二十くらいですか?」
「ここ数年は、おおよそ六十編前後です」
「六十ですか」
「そうです。六十編の玉石混交の作品群を一月(ひとつき)ほどで下読みをしなければならない」

「そのご苦労は想像できます」
心底そう思った。

「そうなんです。つまり、時間が限られているということです。文学賞選考という芸術的作品を発掘するプロセスにおいてさえ、あまりに難解で読むのに難渋する作品は早い段階でオミットされる可能性は残念ながら否めません」

島崎の説明に反発したい気もあるが、現実としてあり得ることは理解できる。自分が選考委員だとしても、時間の制約があれば同じようにしてしまうかもしれない。

「結局、選考委員の先生方は作家ではありますが、この場合は読者の立場でもあるわけです」

島崎の言わんとしていることに、おおよその想像はついた。小説は専門書ではない。一般読者が対象だ。専門家である作家でも苦労するような難解な作品を、一般読者が受け入れるはずはない。つまり出版は難しい。

「島崎さん。それでは芸術的に優れている作品が埋もれてしまう可能性はありませんか?」
「そこがジレンマです」
「以前、わたしが応募した『砂礫の河』は最終選考に残った、と教えていただきましたが」
「そのとおりです。あの作品は残りました」

思い切って訊ねてみようと思った。

「図々しい質問で恐縮ですが、あの作品がどうして残れたか、教えていただけませんか?」

※本記事は、2020年9月刊行の書籍『流行作家』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。