夜も更け、今夜は引き上げることになったが…

外に出た瞬間、思わず勝木はブルッと身体を震わせた。かなり、気温が低くなってきている。風は、相変わらず強い。思わず首をすくめ、両肩を手でさすった。

漆黒の闇が、頭上に広がっていた。月も星一つも見えない、真っ暗な天。町からさほど離れていないのに、夜空はけた違いに暗い。

会釈し、高橋警部補と、別々の車に乗り込もうとする。そのとき、風に乗った微かな話し声が聞こえた。そう、遠くではない。

高橋警部補と顔を見合わせ、目くばせする。二人は、徒歩で前庭を横切り、小川を渡った。
左手の神社へ続く雑木林の中で、人影が動くのが見えた。
身を屈め、耳を澄ませると、人の声が聞こえる。途切れ途切れ、流れて来たのは、低い女の声だった。

「……速水、偽、刈るる田……割れて世もすえ、合わないと思う……」
男の低い声が、何か言い返しているが、全く聞き取れない。

一瞬、丸々とした頭の大男と中背の女のシルエットが、闇の中にうっすら浮かんで、消えた。そして、あとには沈黙だけが残った。

女性は、昼間酒蔵に来ていた甲州屋の女将にも似ていた。速水と、呼びかけていたようだが、相手は誰だろうか?

犯罪の臭いとは違うが、脅迫されている酒蔵の近くで、この夜更けだ。キナ臭い感じは否めない。
秋の深夜、気温はぐんぐん下がって来ている。寒さ故か、鳥肌が立つ。

烏丸酒造を振り返って見ると、背景の夜空よりも暗く、酒蔵のシルエットが闇に沈みこんでいた。

※本記事は、2020年10月刊行の書籍『山田錦の身代金』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。