ロユユは、ありったけの船を確保するように指示し、兵を江の両岸沿いに派遣した。

数日もすると、農民たちが王城の郊外から逃れて来て、「呉王に仕えていた文官・兵士はことごとく殺され、男は奴隷として連れて行かれ、残された女子供は、越の兵士や役人から、豚のように扱われている」と口々に言った。

ダヌは、その名の通り大きな体を震わせて怒ったし、兵士たちも罵ったり嘆いたりした。だが、まさにそのような非道を、かつて父王の仇だとして越の地で行ったのは、他ならぬ呉王だったからには、因果応報と言う他なかった。

呉国は、中原諸国からは南蛮と陰で馬鹿にされながら、南方随一の傑物と謳われた、ング(伍)将軍が丹精を込めて育成した軍勢によって強国となった。

ロユユも武官に任用されたばかりの頃は、ング将軍の、厳しいが思慮に満ちた指導を受けたものである。体も心も大きな人であった。

それよりもずいぶん前、ロユユがまだ字(あざな)ももたない子供の頃、呉は越を征服し、呉王は臣従を誓って命乞いをする越王を許したが、呉に連行し、馬小屋の番をさせるなどして辱めたのである。呉王と、一緒になって嘲笑った呉の廷臣たちに対する、小とはいえ一国の主であった、越王の恨みはさぞ深かろう。

ング将軍は常々、越王を生かしたばかりか国に戻してやった呉王の不明を嘆いていた。

そのング将軍が、王に死を賜ってからというもの、呉は下り坂を転げ落ちるように弱体化し、従属国であったはずの越の攻撃を受け続け、ついには王城までが陥落したのだった。

※本記事は、2020年11月刊行の書籍『東方今昔奇譚』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。