ある日、久山部長と内川専務が激論していた。

「専務、専務はわが社には前例がないからダメだとおっしゃいますが、自動車のボデーの強度は、コンピューターを駆使すれば、何台もの実物ボデーを製作しなくてもいいですよ。大きな費用を投じなくてもボデーの強度はチェックできますよ」

「前例がないのだからダメだと言っただろう。わからんヤツだ」
「新しいやり方をしなければ、わが社は衰退しますよ」
「何を言う。バカだな」
「じゃ、東明自動車とか大豊自動車がこのコンピューターでの強度チェック方法を採用すればいいのですね」
「そうだ。だが、両社ともそんなやり方は採用しないさ」

久山部長は、専務の怒れる姿を見て情けなく思った。

その久山部長は、東明自動車とか大豊自動車とも繋がりを持っていた。T大学の仲間がそれらの会社の幹部となっていたのだ。仲間は久山の優秀さや人格の良さを熟知していた。彼らは仕事上でも密かに久山にアドバイスを求めるという間柄であった。

中島社長・内川専務と本山常務は日常的に争っていた。常務は現場主義であり、何事も自分の目で確かめていた。

対して社長と専務は常に上から目線であり、都合が悪いことには目を閉じていた。たとえば、品質面でも車両の性能検査結果でも、根本的な改善、対策をせず、数値をごまかすことも許容する始末であった。

※本記事は、2020年11月刊行の書籍『「死」から「生」へ』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。