改正医療法(医療事故調査制度)成立への経緯

(1)厚労省第3次試案・大綱案と病院団体合意

・厚労省第3次試案・大綱案と病院団体の対応

1999年(平成11年)東京都立広尾病院事件、

2000年(平成12年)厚労省「リスクマネジメントマニュアル作成指針」通知発出、

2001年(平成13年)東京女子医大人工心肺事件(同年東京都立広尾病院事件1審判決)、

2004年(平成16年)東京都立広尾病院事件最高裁判決

と医療界への逆風が続き、

2006年(平成18年)福島県立大野病院事件 医師逮捕という衝撃的なニュースが流れるのである。

これにより医療界はパニックに陥った。

患者治療に専念した結果、刑事被告人になるような事態を何とかしたいと藁にもすがるように、政治、行政に泣きついたというのが実態であろう。

「医師が刑事責任を問われることを防ぐ」という名目で公表されたのが厚労省第3次試案・大綱案である。第2次試案に比べ、オブラートに包まれた表現になっており。日医が旗振り役を務めたので、一気に法案まで進んでいった。

筆者も第3次試案の危険性を感じたものの、当初、疑問という程度であった。しかし、原案である第2次試案を見ることにより、危険性は確信に至った。

第3次試案・大綱案は「医療者を守る」との謳い文句に反し、内容は、責任追及に終始するものであり、行政権限の強化以外の何ものでもない。

前述したように、2008年(平成20年)日本医療法人協会は筆者の提案を受けて、「死因究明制度等検討委員会」を設置した。厚労省だけでなく、筆者の具申により、井上清成弁護士、足立信也参議院議員(医師)等を招き勉強会を開催した。

これがきっかけで、2009年(平成21年)8月、井上清成弁護士が、日本医療法人協会顧問弁護士に就任することとなる。