当時の正門を入ると斜め左手に本館兼奏楽堂が建っていた。この建物は明治二十三年(一八九○)五月十二日に落成したもので、学校建築としては慶応義塾の三田演説館、医科大学本部に続く東京で三番目の洋風木造建築としてその様式が注目された。

その一部は昭和五十九年(一九八四)まで芸大構内に残存し奏楽堂と呼ばれ明治期のおもかげを現在に伝える貴重な文化遺産であった。

本館は二階建てで擬洋風と和風の折衷様式をなし、正面玄関車寄せの屋根は、ルネッサンス調の手摺子のあるバルコニー風の平屋根造りで、正面二階部分の奏楽堂を覆う大屋根の正面には、バロック調の飾り窓があるなど、音楽の府としての威厳に満ちていた。

玄関を入ると右側に受付と事務室、左側に応接室や幹事室があり、上下階ともに左右に片廊下式の教室棟が続く。左右に延びた廊下の突当たりに練習室がそれぞれ数室並んでいた。

奏楽堂は正面玄関を入った左右の部屋の裏側に、中段折り返しの階段が付けられていて、ホールの両扉から入場できる構造をとり、この入口は左右に延びた二階教室棟の廊下にも連絡するよう設計されていた。

※本記事は、2020年10月刊行の書籍『新版 考証 三浦環』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。