第二章 一日一合純米酒

(十五)

勝木の思考は、まだ迷路を彷徨っていた。多田杜氏の事件を、考え込んだ挙句に。
だが、女性の大声に驚かされ、現実に引き戻された。

「勝木さんと高橋さんの分、晩ご飯作っとげばいっすか?」

晩ご飯だと?
勝木が、慌てて傍らを見ると、賄い担当の女性だった。気立てが良さそうで、笑みを浮かべて立っている。
太ぶちのメガネの中に、クリクリした目。ぽっちゃりした体型ながら、キビキビと動く様子は感じがいい。

いつの間にか、部屋に入って来ていた。しかも一度挨拶しただけなのに、勝木たちの名前を、ちゃんと憶えている。
捜査員が引き上げたので、勝木は高橋警部補と二人きりだった。

「まりえさん、ありがとうございます。でも、大丈夫ですわ。お気持ちだけ、いただいときます」
高橋警部補が、丁重に断った。
この男も、ちゃっかり彼女の名前を、憶えている。

勝木は惜しいと思ったが、仕方なく同意した。事態が、どう推移するかわからない。のんびり食事を摂ってる暇など、無いと思うべきだろう。

「蔵人たちの分、こさえるすから。一人、二人増えても、どうってことねえんだすが。食べてる暇も、無さそうだすな。わかりますたぁ」

にんまりと笑って、ドアが閉まった。どことなく、リスを思わせる。根拠はないが、この女性の作る料理は、おいしそうな気がした。

ただ、どこか無理して、自分を鼓舞している風にも見える。

すると、次の瞬間、ノック無しにまたドアが開いた。
当然、まりえだと思ったところが、今度は見知らぬ男だった。
初老で背が高く、細身。仕立てのいいスーツを着ている。勝木たちを見て、ちょっと戸惑っていた。

「ど、どなたですか?」
男が、おずおずと訊ねてきた。名乗らずに、問うてくるとは、この蔵の関係者だろうか。

「播磨署の勝木やけど。どちらさんや?」
「警察?」

鳩が、豆鉄砲を喰らったように、男が目を丸くする。
「なぜ、ここに?」