第二章 ゼロからのスタート

TOTO工場内の設備工事

一九七〇(昭和四十五)年ごろ、山国川の堤防工事が始まるというので、工場と自宅は立ち退かなければならなくなりました。借地に建てたバラックの家と工場です。

立ち退き料も雀の涙ほどでしたが、すぐに移転をしなくてはなりません。新しく土地を買って、工場も家も建てるという資金などとてもありません。

そんな中、ある方が六百坪の土地を紹介してくれました。私は土地は二百坪もあればいいと思っていましたから、「そんな大きな土地はいりません」と断りました。

紹介者は当時三十一歳の私に、「あんたは若いんだから、将来のために買っておきなさい」と強く勧めてくれました。同時に土地も工場も家もとなると、かなりの資金が必要になります。

紹介してくれた方が銀行にも相談してくださり、F銀行の支店長も融資に協力的でした。これも弊社の安定した取引と、私を信用してくださったのだと思います。

私は新たなスタートを決意しました。工場建設用の鉄骨鋼材は中古鋼材を扱うところがあるというので、北九州の鋼材商会に見に行きました。

そこにはアメリカ規格(インチサイズ)で輸出用だった鋼材が残っていて、日本の規格に合わないということで山積みにされていました。サイズが違うといっても数ミリのことです。自分の工場に使うのに何の問題もありません。

単価も通常より安く設定してくれ、工場建設のすべての鋼材をここで仕入れることができました。鉄骨の建屋を自前で作り、二百五十平方メートルの工場が建ちました。

自宅も同時に建てなくてはなりません。知人が、ある建設会社が木材の切り込みまでして建てるばかりになっていたところ、何かの都合で発注者が建てられなくなったそうで、建材をそのまま入手して建てれば安あがりになると言って紹介してくれました。