(5)東南陸行五百里到 伊都國 官曰爾支 副曰泄謨觚 柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐

東南に五百里陸行すると伊都国に着く、大官は爾支(にし)、副官は泄謨觚(せまこ)、柄渠觚(へなこ)。約千戸有る。代々王がいて女王国に属している。帯方郡の使者の往来で駐在する所。

(6)東南至 奴國 百里 官曰兕馬觚 副曰卑奴母離 有二萬餘戸

東南に百里陸行すると奴国(なこく)に至る。大官は兕馬觚(しまこ)、副官は卑奴母離(ひなもり)。約二万戸有り。

(7)東行至 不彌國 百里 官曰多模 副曰卑奴母離 有千餘家

東へ百里行くと不彌国(ふみこく)に至る。大官は多模(たも)、副官は卑奴母離 約一千家有り。

(8)南至 投馬國 水行二十日 官彌彌 副彌彌那利 可五萬餘戸

南に船では二十日掛かって投馬国に至る。大官は彌彌(みみ)、副官は彌彌那利(みみなり)。約五万戸有り。

(9)南至 邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月 官有伊支馬 曰彌馬升 曰彌馬獲支 曰奴桂鞮 可七萬戸

南に船では十日、陸を行けば二十日掛かる所に女王の都の邪馬台国が有る。大官は伊支馬(いきま)、彌馬升(みます)、彌馬獲支(みまかき)、奴桂鞮(ぬかて)がいる。七万戸ぐらい有る。

※本記事は、2020年11月刊行の書籍『邪馬臺國は豐國にあり 歴史学と考古学から読み解く⽇本古代史』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。